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今日の誕生日

ガブリエラ・パパダキス(1995年)→Pick Up!


Pick Up! ガブリエラ・パパダキス

フランスが誇る女子アイスダンスが26歳の誕生日を迎えました。ギヨーム・シゼロンとのカップルは「パパシゼ」の愛称で世界的に知られます。

10歳になるシーズンにカップル競技に転向し、12年のジュニアグランプリ(GP)ファイナルで同国初のメダルを獲得(銀)するなど早くから頭角を現しました。13年にシニア挑戦。14年の欧州選手権は15位でしたが、カナダ・モントリオールに拠点を移した後の翌15年大会で優勝と、一気に飛躍しました。続く世界選手権も制覇。その15年大会から金、金、銀、金、金と「ワールド」で驚異の戦績を刻んできました。

華やかなキャリアの一方で、困難も乗り越えてきました。世界王者になった直後の15年8月。AFP通信によると、練習中に頭部を氷に打ちつけ、パニック発作、うつ病、記憶障害、失読症に苦しみました。カナダで軍用の最先端治療などを受け、年末までに復帰。年が明けて欧州選手権、世界選手権をともに連覇し、強靱(きょうじん)な精神力を見せつけました。


2019年世界選手権
2019年世界選手権

17-18年シーズンは、試合に出るたびにフリーダンス(FD)の歴代最高得点を更新。国際スケート連盟(ISU)公認大会4連勝と破竹の勢いでしたが、平昌五輪(オリンピック)ではショートダンス(SD)で衣装の首のホックが外れるハプニングに見舞われました。大きな話題となった中、2位でFDへ進み、ここでも歴代最高スコアを更新。涙を流して喜び合いましたが、最終的にはカナダのテッサ・バーチュー、スコット・モイヤー組に逆転され、銀メダルとなったことも記憶に新しいところです。

平昌五輪の後、世界選手権では18、19年に2度目の2連覇を達成しました。20年モントリオール大会の延期をへて、21年のストックホルム大会は欠場。20年7月にパパダキス、シゼロンともに新型コロナウイルスに感染し、3週間ほど氷から離れており、その後もコロナ禍で十分な準備ができていないことを理由に挙げました。

4月の世界国別対抗戦(大阪)にも出場せず、前年のGPシリーズ第4戦フランス杯も中止になったことで、20-21年シーズンは全休となりました。ストックホルムにも向かわなかった代わりに「今後は21-22年シーズンの各大会と北京五輪に焦点を当てる」と発表しており、活動を再開し、再び華麗なダンスを披露する日は遠くなさそうです。


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2021年4月15日
2021年4月15日

21年4月15日、世界フィギュアスケート国別対抗戦・女子SPで演技する坂本花織(代表撮影)。


今日の出来事

浅田真央がバンクーバー五輪後のプランを語る(2010年)

フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリストで、世界選手権では金メダルを獲得した浅田真央(19=中京大)の次シーズン振付師が決まった。

文科省が10日、都内でバンクーバー五輪のメダリストおよび入賞選手を表彰。浅田は、出席した表彰選手および指導者の計37人を代表し「今後も日々精進していきます。今後もご指導のほど、よろしくお願いします」と謝辞を述べた。

その後、取材に応じ、来季の振り付けについて言及した。ショートプログラム(SP)は元コーチのタチアナ・タラソワ氏、フリーは2季前にSPを担当したローリー・ニコル氏に依頼することを明らかにし「来季はスローな曲をメインで滑りたい。今からすごく楽しみ」と笑顔を見せた。

10-11年シーズンはSPが「タンゴ」、フリーは「愛の夢」だった。

懸案のコーチについては「まだ決まっていません」と話したが、後日、長久保裕氏をジャンプ専門のコーチに迎えて6月から全種類の矯正に取り組み、9月から佐藤信夫氏に師事した。