ショートプログラム(SP)首位の三原舞依(22=シスメックス)が17年以来、5年ぶり2度目の優勝をかみしめた。

フリー145・41点を記録し、合計218・03点。21年末の全日本選手権は4位で22年北京五輪の代表3枠を逃したが、どん底から立ち上がった。

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5年前は「シンデレラ」、今回は「森の妖精」をイメージした演技で頂点に立った。大会中もSP後に「深夜ですよね…?」と日本からオンラインで取材する報道陣に声をかけ、20年12月の全日本選手権(長野)中には朝の散歩で偶然顔を合わせると「寒くないですか?」と気遣ってくれた。

他人思いで、丁寧で、どこか滑りと重なる柔和な人柄-。そんなイメージももちろんだが、ちょうど5年ほど前から取材を続け、なかなか表に出さない、芯の強さが魅力と感じてきた。

約1年前、中野園子コーチから聞いたことがある。22年北京五輪(オリンピック)に出場する1学年下の坂本花織との思い出話だ。

「昔からずっと舞依が前を歩いて、花織が後ろに隠れていましたから。何を言いにいくのも『舞依ちゃん、行って』という感じで…。外国では英語ができないのも相まって、全部舞依が行って、後ろから花織が行くと。それで大丈夫だと思ったら、かおちゃんが出て行くみたいなね(笑い)」

体調不良で全ての競技会を欠場した19-20年シーズン。結果的にその直前となった19年4月、1対1で話を聞く機会があった。ある言葉に「芯」が見えた。

「4位と3位の違いは死ぬほど分かっているんです。良かった選手、点数が出た選手は私に足りないものを持っている。心から『おめでとう』と思うけれど、かつ、悔しさはあります」

「4位」-。北京五輪代表が懸かった全日本選手権も、この順位だった。本気で目指してきたからこそ落ち込み、自分を責めた。そして今大会のSP後、珍しく「金メダルを目指している」と言った。自らに期待をかけ、フリー最終滑走で乗り越えた。これまで以上に堂々とした姿に見えた。

「今回は金メダルを目指してプレッシャーを自分にかけていた。一番うれしい金メダルかなと思います」

三原には自ら立ち上がる強さがあった。【松本航】