新潟県高校総体が21日に開幕する。全国高校総体(インターハイ)など上位大会への出場権を争う。バスケットボール男子では新潟工が1996年(平8)以来、28年ぶりの優勝を目指している。同校をインターハイに11度導き、全国レベルの強豪に育て上げた元監督の大滝和雄氏が、病気のため3月14日に78歳で死去した。天国で見守る名将にインターハイ切符獲得を報告しようと、モチベーションは高い。

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新潟工のメンバーは、ユニホームの左胸に黒いラインの喪章を縫い付けて県総体のコートに立つ。「大滝先生に部としての恩返しをしたい」。佐藤瑠海主将(3年)はチームの自覚をこう表現した。

夏の全国舞台は大滝氏が最後に指揮を執った96年から遠ざかっている。ただ、現チームになってから復活の気配が漂う。1月の県高校新人戦は3位、4月の近県大会は決勝で開志国際に敗れて2位も、準々決勝ではウインターカップ9度出場の帝京長岡を破った。

就任5年目の庭野智監督(46)は「新潟工として大切なものが選手に浸透してきた」。庭野監督は十日町のOB。高校時代に目にした、荒々しい新潟工のスタイルにひかれた。OBではなかったが、監督就任当初から大滝氏がアドバイスをしてくれた。昨年、倉庫に長年しまったままだった応援旗を、試合で掲げ始めた。控え部員が太鼓をたたく全盛時の応援スタイルも復活させた。

大滝氏は77年から96年まで新潟工を率い、この間、インターハイに11度、ウインターカップに8度導いた。88年はインターハイは県勢初の3位、ウインターカップはベスト4と新潟工の名を全国に知らしめた。現部員は会ったことはないが「どんな方なのかOBの方々がよく話しくれる」(佐藤主将)と、当時のチームのイメージはできている。ハードな守備とアグレッシブな攻撃、最後まであきらめない粘り。そこに「自分たちらしさを加える」と佐藤主将。3人1組でコートを往復するシュート練習では55本成功がノルマと、シュート力を磨いた。

大滝氏が亡くなったのは3月14日。逝去後の練習で庭野監督は涙を浮かべながら「大滝先生がいたからこそ、ここでバスケができている」と部員に説いた。佐藤主将は言う。「全員で決めた。今年は全国大会に行く」。目標達成の意思を強くし、名門復活を形にする。【斎藤慎一郎】