2020年夏季五輪の東京開催が決まった。56年ぶりに聖火が東京に帰ってくる。原発問題、東日本大震災からの復興という大きな課題を抱える中、7年後の成熟都市・東京は、世界へどういう姿を示すのか。責任編集の為末大(35)は、五輪が来るからこそ、日本にできることを考えた。

 東京五輪が決まり、選手たちがインターネット上で、自分が20年にどうなっているか空想していた。

 ある選手はもう間に合わないからコーチでと考え、ある選手はぎりぎりかなと考え、若い選手たち、陸上短距離の桐生祥秀君は24歳でちょうどいい時期だと書き込んでいた。おそらく選手だけではなく、7年後の自分はどうしているだろうかと計算したと思う。20年に五輪が東京に来るということの一番の意味は、20年に日本がどんな社会であるべきか、自分はどう生きているかを皆が想像したことではないだろうか。

 五輪は確かに素晴らしい。夢をもたらし、感動をくれるものだけれど、大会が大成功に終わったとしても、その後にやってくるのは、今までとは変わらない日常だ。いくら素晴らしいとはいえ、2週間のお祭りのためだけにすべてを費やしていいのだろうか。

 日本の負債は1000兆円を超え、今も毎年増え続けている。20年には65歳以上の人口が30%近くになり、医療費負担もすごい金額になるだろう。東京電力福島第1原発の状況も収束できるようなものではなく、付き合っていくしかない。結局のところ五輪が来ても日本の状況は変わらないし、問題は依然として問題として残っている。私は社会問題を解決するために五輪が活用できないかと考えていて、少しそのアイデアを書いてみたい。【1、パラリンピック都市計画】

 例えば東海道新幹線は、64年の東京五輪で整備された。国立競技場、青山通り、駒沢公園、首都高速など。五輪を開催するということは交通、その他のインフラを整備することでもある。そう考えてみると、東京五輪で整えるインフラは最低でも、その後の50年までを想定して作らなければならなくなる。では、2070年の日本はどうなっているのか。

 おそらく人口は9000万人を割っていて、65歳以上の高齢者の比率は40%近い。もし移民政策を取らなかった場合、超少子高齢化を迎えている。

 私は今回の東京五輪は、パラリンピックを中心に街作りをしてはどうかと考えている。パラリンピアンが不自由なく暮らせる街は、そのままバリアフリーな街作りとなり、その後、東京が迎える高齢化社会のモデルケースになるのではないだろうか。実は高齢化は日本だけの問題ではなく、これから世界中が直面する問題でもある。パラリンピックを中心とした都市計画は日本が率先して、右肩上がりのイケイケドンドンの国ではなく、成熟した国家の五輪のありようを示す、いいきっかけになるのではないだろうか。【2、スポーツを通じた国際貢献】

 初めてペルーに行った時「俺はオリンピアン(五輪選手)だ」と自慢したら、五輪自体を現地の人は知らなかった。五輪は日本でとても大きなうねりを起こしているけれど、やはりメディアなどで情報が行き届いている先進国でのものだというのを実感した。

 五輪の選手村で、ふと「本当の世界一の選手はここにいるんだろうか」と思ったことがある。現在の地球上で実際にスポーツを選べる人は半分もいない。スポーツをするにはある程度の裕福さ、平和な状態が必要だからだ。スポーツができる環境が整っている国や、地域に生まれついた人たちの中で競い合っているのが現在の五輪になる。

 例えば、世界中でスポーツを選べるような環境を日本が率先して広げることができないか。日本が国境なき選手団のようなものを立ち上げ、スポーツ環境を広げたり、スポーツ環境のランキングを出すことで、世界中の貧困解決、紛争解決につなげられないか。20年のあと何度目かの五輪で、出場した選手たちがみな日本に対して感謝をしてくれたら、本当はメダルを獲得する以上に世界に対して日本が貢献し、また存在感を示していることになる。【3、日本の技術と五輪】

 20年、スポーツの観戦方法はどうなっているだろうか。今は眼鏡や腕時計などウエアラブル(身につけられる小さな)コンピューターが少しずつ出始めているけれど、それがもっと発展しているだろうと予測する。気温や路面環境、時速などをサングラスに表示してマラソン選手は走っているかもしれない。

 20年、パラリンピアンよりオリンピアンはまだ勝てるだろうか。義足やハンディキャップを埋める技術の発展も、すごい勢いで進んでいる。パラリンピアンの方がオリンピアンよりも速い時代がくるかもしれない。

 五輪を行うということは世界中から人を呼び込む最大のチャンスということで、そこでいったい日本はどんな科学技術を世界に提供できるのだろうか。アメリカでは軍事用のロボット技術が発展しているけれど、日本では介護用でロボットが活用されている。

 鉄腕アトムが聖火をつなぎ、「3Dホログラム(レーザービームを使った立体画像)」のあるカフェで五輪を観戦する。前回の東京五輪では技術が追いつかなかった、あらゆる角度から選手たちを見ることができる。スポーツそのものではなく、20年にどんなことが可能になっていて、そして、それを何に活用できるかを日本が提案してもいいのではないだろうか。【4、スポーツ文化の構築】

 今回は指摘されなかったけれど、実は日本には汚染水以外にもアキレス腱(けん)があったと僕は考えている。それは体罰問題だ。

 日本のスポーツは教育と強く結びついている。時々、行き過ぎて「スポーツからは必ず何かを学ばなければならない」「苦しみを乗り越えて何かを得なければならない」という方向に向かってしまうことがある。スポーツは語源からして「発散する、気晴らしをする」という意味を持っていて、何かのためにやるというより、ただ楽しいからやっているという意識が発祥の欧州あたりでは強い。日本は教育的側面が強くなり、国際社会へ日本の存在感を示そうとするような流れと結びついて、勝利至上主義に向かっているように思う。体罰問題などもここから来ているのではないか。

 反対に、アンチドーピングに関しては日本は素晴らしいポジションにいる。これは教育的な側面が強い日本のスポーツ文化が、いい方向に出ていると思う。「オリンピックムーブメント(スポーツを通じてよりよい世界の構築を目指すという運動)」という点で、ドーピングはその根幹に関わる問題で、日本のクリーンなスポーツ文化をもう少し世界に発信していってもいいのではないだろうか。スポーツ本来が持つ、自分自身の可能性に自分の力で挑戦するというメッセージを、日本がこれから五輪に伝えていくべきだと思う。ドーピングを五輪からなくせる可能性を日本は持っている。

 エネルギーの問題、高齢化の問題は、これから世界中の国が体験することだ。もし20年東京五輪でそうした社会問題を解決していくようなコンセプトで大会が開催されれば、それは世界的にとても大きな意味を持つのではないか。新しい持続可能な社会のモデルを、五輪を活用することで世界に伝えることができるのではないか。それは課題先進国の日本でなければできないことで、私はそこに東京五輪の可能性を見ている。

 ずっと招致の間に言われていた「日本にとって」ではなく、「世界にとって」五輪が東京で行われなければならない理由。タイムマシンのように未来の理想的な社会を、五輪を通じて示すことができたら、東京で開催する理由は十分にある。(為末大)