ラグビーワールドカップ(W杯)が盛り上がる中、今月から毎週日曜日は「ラグビー流 Education」が始まります。高校ラグビーの名門・桐蔭学園(神奈川)を率いる藤原秀之監督(51)と、元日本代表の今泉清氏(52)が、身体だけでなく「心」も育てるラグビーの魅力を伝えます。現役時代の藤原氏は大東大第一高(東京)で、今泉氏は早大やサントリーでいずれも「日本一」を経験。現在の立場は違っても、ラグビーへの熱い思いは同じです。第1回は両者の対談から。(以下敬称略)

 

W杯で連日行われている試合では、屈強な大男がある時は激突し、ある時は巧みなボールさばきを見せ、ある時は目の覚めるような速さで芝を走り抜ける。そんな迫力あるプレーに、ラグビーファンでなくても、詳しいルールが分からなくても、思わず興奮してしまう方も多いでしょう。

そんな中、さっそく2人に「ラグビーという競技の魅力」をうかがいます。

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藤原 ラグビーの醍醐味(だいごみ)は球技的と格闘技的な部分が混在していること。例えばサッカーやバレーボール、バスケットボールなどはテクニックに負うところが大きくなることがあります。でもラグビーは、足が速いなど特別な能力がある子だけが活躍できるのではなく、いろんなタイプの子が活躍できる。体形や身体能力の違いなどによって、それぞれに役割がある。これが最終的に社会に出たときにつながっていくと思います。

代表的な例だとプロップは巨漢、ロックは長身でSHは小柄ですばしっこく、WTBは俊足などという傾向がある。

藤原は中学までは野球少年、高校からラグビーを始めた。同期は陸上や柔道からの転向組と初心者がほとんどだったが、3年時には花園を制した。個性を生かした「役割分担」に徹する。やりたいポジションでなくても、責任を果たす。それを理屈でなく、体感で覚える。そこが心を育てる。

藤原 だから、ラグビーをやっていた人は、会社、社会、組織でも求められる傾向があるようです。

今泉 今でも圧倒的にその傾向は強いですね。

1つのキーワードに「自己犠牲」がある。

藤原 身体接触が多い。ここに自己犠牲がある。目の前に大きな人がいても果敢にいかなきゃいけない。勇気を持って。「勇気」なんて言葉はもう死語かもしれない。そんな中で体感、経験して身につけていく。言葉で教えなくても、「勇気を持つ」ということを自分たちで掘り下げていけるんじゃないかと…。そういう面はほかの競技より大きく、魅力的ですよね。メリットだと思います。

今泉 攻守が分かれている野球やネットを挟む競技と違って、闘争心がより表に出る。勝ちたい、負けたくないから、仲間を助けにいく。そのためには自分より大きい相手、強い相手にも立ち向かっていく。

密集戦に飛び込む。痛くても苦しくても体を張る。全速力で向かってくる相手にタックルにいく。自分がつぶれ役になっても、ボールを生かし、味方につなげるべく力を振り絞る。いわゆる「One for all,all for one(1人はみんなのために、みんなは1人のために)」の精神だ。

今泉は小1でラグビースクールに入った。わんぱく盛りで、半ば「エネルギー発散」の一環だった。

今泉 走り回って褒められる。相手を倒して褒められる。学校の中では「やめなさい」と言われていた行為が、一転「いいぞ!」となって(笑い)。その中で自然に学んだことは規律や仲間への思いやり。「自分がよければいい」ではない。集団行動やルールを守ることを知った。

忘れられないエピソードがある。

今泉 チームメートに小さくておとなしい、普段は「いじられキャラ」の子がいた。でも試合ではすごいタックルをし、一生懸命プレーしていた。そうしたら試合後、相手チームの選手が「お前、すごいな」と握手を求めにきた。体を当て合ったからこそ分かること。僕らのその子への見方も変わったし、役割分担やお互いを認め合うことを、自然発生的に知りましたね。

サッカーならゴールを挙げた選手がヒーロー扱いされる。ラグビーでもトライを決めた選手ばかりが注目されることはある。だが、鍵となったプレーはそれより何プレーも前のタックルだったり、スクラムやラインアウトでの駆け引きだったりする。

藤原 トライの起点となったのはどういうプレーなのかを、教えます。また、ミスが出たら誰がどうやってカバーすべきなのか、ということも大事です。

ボールを持たずとも、派手なプレーはなくとも、チームに貢献できる。それを仲間が分かってくれるのも大きな魅力だ。

今泉がある名言を紹介してくれた。「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる」(元フランス代表主将ジャン・ピエール・リーブ)

ラグビーについて熱く語る2人の目は、まるで少年のようだった。【構成・岡田美奈】

◆藤原秀之(ふじわら・ひでゆき)1968年(昭43)東京生まれ。大東大第一高でラグビーを始め、85年度全国選手権でWTBとして優勝。日体大に進む。卒業後の90年に桐蔭学園高で保健体育の教員、ラグビー部のコーチとなり、02年から監督に。同部は全国選手権に96年度初出場、昨年度まで4回連続17度出場。決勝進出6回、優勝1回(10年度、東福岡との両校優勝)で当時のメンバーに日本代表の松島幸太朗がいる。全国選抜大会では17年から3連覇。今や「東の横綱」と呼ばれているまでに同部を育てた。

◆今泉清(いまいずみ・きよし)1967年(昭42)生まれ、大分市出身。6歳でラグビーを始め、大分舞鶴高ではフランカー、早大でBKに転向し、主にFBとしてプレーした。華麗なステップと正確なプレースキックで、大学選手権2回優勝(87、89年度)、87年度日本選手権では東芝府中(当時)を破っての優勝に貢献。ニュージーランド留学後、サントリー入り。95年W杯日本代表、キャップ8。01年に引退した後は早大などの指導、日刊スポーツなどでの評論・解説、講演など幅広く活躍。