泣いてしまうだろうな、と思っています。いや、もう、絶対、泣く。今から困っています。広島25年ぶり優勝。関西人のおまえが何なんだ、と言われそうですが、いろいろとあるのです。

 申し訳ありませんが、今回はごく個人的な話を書こうと思います。しかも昔の話です。

 広島担当を拝命したのは00年1月からの1年間でした。赴任時は妻、ちょうど学齢に達した長女、そして幼稚園の年中組で初めての集団生活を楽しみにしている次女、おまけに妻のおなかの中に三女がいました。

 私も妻も関西出身で初めての広島生活でしたが、なかなか楽しかった。カープの取材もそれまでのオリックス、阪神と違って独特でなかなか味わい深かったのです。

 その中で1人の選手と知り合いました。緒方孝市。99年オフに注目されたFA宣言をせずに残留。新たにチームの顔として広島を引っ張ろうとしていました。

 ハッキリ書きますが、緒方も頑固者。私も偏屈者です。それで波長が合ったのか「一度、メシでも」という話になっていました。

 しかしお互い、時間が合わず、あっという間にシーズン終了。達川光男の退任、山本浩二の復帰と監督問題もあってオフもバタバタしました。

 ようやく時間があったのが11月の宮崎・日南での秋季キャンプでした。00年11月14日。日南市内の居酒屋に2人で行きました。

 覚えているのは店主が「ついに緒方さんが来てくれた。他の方々には、もうほとんど、みんな来てもらったんですけど」とすごくうれしそうにサインを頼んでいたことです。

 宮崎地鶏などを食べながら2人でいろいろな話をしました。野球のこと、家族のこと。ちょうど妻がその4日に三女を出産していたので赤ちゃんのこと。普通に家族を持つ男同士の話でした。

 そして宿に帰りました。日付の変わった15日午前2時過ぎ。母から携帯電話に連絡が入りました。「あんた、気持ちをしっかりして聞き」。そう前置きして話し始めた内容。妻が倒れた。意識がない。出産から11日後、突然、この世を去ったのです。

 夜中に宮崎から福岡までタクシー、そこから朝一番の新幹線で広島に帰りました。その朝、「きのうはどうも」と言うためにキャンプの球場で私を捜していた緒方に他社の担当記者が事情を説明してくれました。絶句していたと言います。

 それからなんだか自分が自分でないような日々を過ごしていた私の頭を一番占めていたのは、こういう思いでした。

 「なぜ自分でなく妻なのか。子どもたちのためには自分の方がよかったのじゃないか」

 そんなことを愚痴る私に緒方は「何を言うとるんですか。奥さんもそんなこと思ってるわけないですよ」と怒りました。緒方は母親を先に亡くしていますが、そのときの父親の様子に私が似ていて仕方がなかったとあとで聞きました。

 あれから16年。緒方は現役引退、コーチ、そして14年オフに監督就任しています。節目で連絡を取り、話をしてきました。

 私にとって広島は忘れられない土地、チームになりました。そして、緒方が指揮を執って、25年ぶりの広島優勝が目の前です。

 妻と結婚したのはその91年、25年前のことです。

 「あれから勝ってないのか」。そう思えば時間の流れを感じます。そんな思いが一気にあふれそうな緒方の胴上げ。今からちゃんと見ることができるのか。おめでとうとか何とか言えるのか。心配です。

 私事、誠に申し訳ありません。(敬称略)