大相撲での「引退」は寂しく、やはり難しい。名古屋場所で、つくづく感じた。

 元関脇で40歳の旭天鵬が、千秋楽から一夜明けた27日に引退を表明した。以前から「十両に陥落したら相撲は取らない」と公言していた。そして13日目の黒星で、陥落は濃厚になった。

 だが「引退する」という言葉は、会見まで口を閉ざした。なぜか-。角界には不文律がある。「引退する」と口にすれば、その日のうちに相撲協会に引退届を提出しなければならない。以降、土俵に上がることも許されない。小錦が、まさにそうだった。

 97年九州場所14日目の朝、師匠の高砂親方(元小結富士錦)が「明日(千秋楽)日本相撲協会に引退届を出します」と明かした。その上で師匠は協会に、千秋楽まで取らせてほしいと願い出た。だが、境川理事長(元横綱佐田の山)は願いを退けた。当時の新聞に理事長の言葉が載っていた。

 「土俵は厳しいんですよ。相撲を取りたい意思は評価するが、勝っても負けても関係がないものが取るのは。相手は死に物狂いなんだから。これが相撲なんです」。

 旭天鵬も引退を口にした瞬間から、現役力士ではなくなる。千秋楽まではまだ、年寄名跡「大島」の継承が承認されていなかった。その時間を、現役として待つしかなかった。師匠の友綱親方(元関脇魁輝)は引退会見の冒頭で「ここ数日間、私どものことで明確な気持ち、お話をできなかったこと、おわび申し上げます」と謝った。だが、この不文律の中では、それも致し方ないことだった。

 この不文律をどうとらえるか。プロ野球ではよく、シーズン途中に会見し、今季限りの引退を表明する。終盤には「引退試合」もつくられる。あらかじめ引退が分かっていればファンもより深く、その選手に思いをはせて、目に焼き付けることができる。

 ただ、対戦する相手はやはり「勝ちづらい」。まして、相撲は1対1。そして、1日1番しかない。たとえば1試合、あるいは1打席しかないプロ野球とは、1勝の重みが違いすぎる。そう考えれば、この不文律を否定することは難しい。

 13日目で陥落が濃厚になっても、わずかな可能性を懸けて望んだ旭天鵬の14日目。相手は36歳の安美錦だった。同じ伊勢ケ浜一門で、一緒に横綱土俵入りを行った仲でもある。

 安美錦は、勝てば相手がどうなるか、分かっていただろう。事実、旭天鵬は会見で「対戦して思った。安美ちゃんの顔が…勝負のあとはいつもはすっと腕を抜くんだけど、あのときは寂しい感じがしてた」と振り返った。翌千秋楽の旭天鵬戦を見つめる安美錦の目からは、涙がこぼれ、口は「がんばれ」と動いていた。

 そんな思いを秘めていても、14日目の相撲を懸命に取って、勝った安美錦。そして、すべてを受け入れた旭天鵬。もし、前もって引退表明が許されていたら、この一番にそこまでの「重み」は生まれなかった。

 大相撲での「引退」は難しく、そして寂しい。あらためて感じた。【今村健人】