「王将」「矢切の渡し」「風雪ながれ旅」など多くのヒット曲で戦後の歌謡史を彩り、16日に心不全で死去した作曲家船村徹さん(享年84)の通夜が22日、東京・護国寺で営まれ、弟子の北島三郎(80)鳥羽一郎(64)ら歌手、音楽関係者ら約1500人が参列した。

 祭壇は故郷栃木を象徴する日光の山々が白い雪をかぶった姿と花畑をイメージし、2万8000本を超える花で飾った。祭壇の上部には、美空ひばりさん(享年52)が歌唱した「みだれ髪」の歌い出しを直筆で書いた音符を飾った。“友”としていた葉巻と日本酒は祭壇に飾り、棺にも入れた。

 その棺には「この人がいなければ、今の私はいなかった」と言い切る北島の手紙も入っている。「出会いからの感謝の思いを書きました。別れというのはつらく悲しく寂しい。でも私は生まれ変わっても、あなたの弟子になりたいんです」。

 昨年9月、船村さんが「無二の親友」と呼ぶ、作詞家高野公男さん(享年26)の追悼イベントが茨城県で行われた。そこで、船村さんは北島に前日に見た夢の話をしたという。「きれいな花がたくさん咲いている河原があって、川の向こうには戦死した兄(健一さん)がいたんだ。兄はおれに向かって『帰れっ』と言うんだよ」。

 北島は、まだ旅立つには早い。多くの作品を作るために頑張れという、兄の激励と解釈した。だが、それから約5カ月で船村さんは大好きだった兄の元にいった。死去の翌日、妻福田佳子さん(78)は、亡くなった2月16日が健一さんの命日だったと明かし、「『お前もそろそろいいだろう』と、兄が迎えに来たのかもしれません」と目頭を押さえていた。

 北島は23日の告別式には参列せず、秋田でステージに立つ。昨年9月、頸椎(けいつい)症性脊髄症の治療のため、芸道55周年を記念した秋田と岩手でのコンサートを延期していた。「日を改めるわけにはいかない。師匠も『ちゃんとやれ』と望んでいるはずです」と涙ながらに語った。ステージでは「風雪ながれ旅」「なみだ船」など船村作品を歌唱する予定だ。