俳優の大滝秀治さんが死去した。芸能面「日曜日のヒーロー」の復刻記事。【2006年4月9日紙面から】
45歳を過ぎてから売れ始めた。悪声と老け顔で不遇の時代が長かった。しかし、今ではそれが独特の持ち味となって、舞台で主役を張り、ドラマ、映画にも数多く出演している。劇団民芸の代表にして、演劇界きっての長老俳優だが「つまらん、お前の話はつまらん」と怒るおやじ役でCMにも登場する。大滝秀治、80歳。芸歴56年になる大滝のつまらなくない話を聞いてください。
36年ぶりに再演となった劇団民芸「審判」。紀伊国屋サザンシアターの楽屋には、初舞台の新人のように、本番を前に緊張している大ベテランがいた。
「僕は気が小さくて、憶病で、すぐクヨクヨする人間。恥をかきたくないから、一生懸命やるんだ。芝居が楽しいかって?
冗談じゃない。せりふを覚えるのはつらいし、初日が開けても(千秋)楽が早く来ないかと思うぐらいなんだから。でも、もう56年も続けている。その苦痛に耐えることが、快感になっちゃったのかな」。
「審判」は東京裁判を舞台にした作品で、70年の初演で大滝は首席弁護人、滝沢修さんが対峙(たいじ)する首席検察官を演じた。演出は宇野重吉さんだった。当時の演劇界を代表する両巨頭に挟まれ、大滝は劇団民芸に入って20年の45歳。大抜てきだった。
「東横劇場の楽屋の上にあったふとん部屋で、ちゃぶ台を挟んで、宇野先生と1対1のけいこをした。滝沢さんの相手役だから、宇野先生も心配したんだろうな。声の高低から強弱まで細かく指導された。でも、メモしようとすると、宇野先生は『書くな』って言うんだ。『書くと活字に頼るから忘れてしまう』と。でも、書かないでいると『書かないと忘れるぞ』って。当時、渋谷に近い池尻に住んでいたので、バスに乗る金もないから速足で帰って、清書したね。その時のメモは今回の台本にも張ってます」。
「審判」では紀伊国屋演劇賞を受賞した。悪声と老け顔で役に恵まれない不遇の時代が長かった大滝にとって、初の賞だった。大きな転機となった作品だ。
「名古屋公演の時、宇野先生が訪ねてきた。楽屋まで来たけど、一言も話さずに小さな紙を渡すんだ。『よくできました。忘れずに頑張ってください。重吉』って書いてあった。宇野先生に褒められたのは、最初で最後だったなあ。紙を持ってるかって。大事な宝ですよ。もったいなくて、ほかの人に見せられません」。
戦後すぐに電話局に勤めた。最初の配属先が帝劇の隣にあった丸の内電話局。帝劇の招待券が大滝のところにも回ってきて、バイオリニストのクライスラー、オペラ歌手シャリアピンなど世界の一流ステージを見た。そして、山口淑子、滝沢修さんが出演した舞台「復活」が人生を決定づけた。
「舞台奥から滝沢さんがすーと出てきて『何十万という人間が1つの小さな場所に集まって、その土地をどんなにつくりかえようと骨を折ったところで、春はやはり春であった』ってしゃべるんだ。演劇ってすごいなと思ったね。世の中にこんなふうに人を身震いさせ、鳥肌を立てさせる商売があるのかってね、こんな華やかな世界なら金も入るだろうと思った。でも、その後は貧乏だったな」。




