27日にJリーグが開幕した。日刊スポーツではそれまでの約1カ月間「ほぼまいにち、Jリーグ」という企画を連載した。

 http://www.nikkansports.com/soccer/news/1601518.html

 広島FW佐藤寿人、G大阪の長谷川健太監督、そして村井満チェアマンなど、多くの選手、スタッフ、関係者にご協力いただいた。

 そしてみなさんが大事にされている言葉を通し、それぞれのサッカーや人生の哲学をひもといた。

 この企画には、実は「プロトタイプ」があった。浦和DF槙野智章(28)の「『頑張る時』は、いつも今」という言葉だ。

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 槙野には、キックオフ前のルーティンがある。手のひらをじっと見つめながら「頑張る時は、いつも今」と何度もつぶやく。

 これを聞いて、胸を打たれた。いつも全力で頑張るというのは、シンプルだが、本当に大変なことだ。

 多くのアスリートは「頑張るべき時」と「そうではない時」を選別する。そうしないと、心身が持たないと考えるからだと思う。

 槙野は違う。すべての試合を「頑張るべき時」と位置付ける。それをキックオフ直前まで、自分で自分に言い聞かせる。そして全力で走り、身体を張る。

 昨季、槙野は浦和でリーグ戦33試合、ゼロックススーパー杯1試合、Jリーグチャンピオンシップ1試合、天皇杯3試合、アジアチャンピオンズリーグ5試合の計43試合でプレー。すべて先発フル出場した。

 さらに日本代表にも定着。8試合で起用された。合計51試合。国内で最も年間の出場時間が長かった選手の部類に入る。

 その4620分目、昨季最後のプレーは今年の1月1日天皇杯決勝、G大阪戦の後半ロスタイム。

 猛然と敵陣深くへと駆け上がり、ゴール至近距離からシュートを放った。しかしGK東口の正面を突き、同点はならなかった。

 その直後、試合終了の笛が鳴った。天を仰いで悔しがる姿を、スタンドの記者席で見届けた。

 チームを優勝に導くことはできなかったが、誰よりも多い出場機会を、最後まで全力で戦い抜いた。このことには、何物にも替え難い価値があると感じた。

 1年に51回繰り返された「頑張る時は、いつも今」。この言葉に、あらためて重みも感じた。

 だから「ほぼまいにち、Jリーグ」の企画提案をする際、各クラブには、槙野の言葉を使ったサンプル版を提示させていただいた。

 多くの関係者のみなさんに、この企画に賛同いただけたのも、槙野の言葉の重みのおかげだと思う。

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 かつて人づてに聞いた、横浜MF中村俊輔の言葉を思い出す。

 ゴルフ担当記者に移っていた13年、私は米国男子ツアーで石川遼、松山英樹を取材していた。

 当時、私は松山プロとの間にまだ信頼関係がつくれず、思うような取材ができないことに悩んでいた。距離を縮めよう、誠意を伝えようと思い、もがいていたが、何一つ奏功しない。

 だから米国時間の真夜中、日本が昼になるのを待って、私は家族や知人に電話をした。そして悩みを、というよりもほぼ「愚痴」を聞いてもらっていた。

 それがめぐりめぐってサッカー界に、それも中村の耳に入った。

 その場にいた番記者は「塩畑も大変だ」とネタにしていたというが、中村は真顔で、こう言ってくれたらしい。

 「もっと空回りすればいいんだよ。じゃないと、いざって時に全力で回れないから」。

 何かが成し遂げられそうな時だけ、フルパワーを発揮しようとしても、そううまくはいかない。いつもフルパワーで動いている者だけが、大事な時にフルパワーを発揮できる。

 02年W杯の代表メンバーから漏れた時。イタリアやスペインで出場機会が得られなかった時。さまざまな苦境で、中村もそう思って、懸命に自分を奮い立たせていたのだろうか。そう思うと、胸にじんときた。

 深夜、日本からの電話で伝え聞いたこのフレーズは、その後の松山取材の支えになった。

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 その松山英樹も、同じような哲学を持っている。

 アマチュアとして出場していた12年7月29日、サン・クロレラクラシック最終日。12番終了時点で、松山と首位との差は6打も開いていた。

 しかし松山は順位ボードを見てつぶやく。「ここから全部バーディーなら、追いつけるのか」。

 スイッチが入った。怒とうの4連続バーディー。17番パー3では「いっそ入れてやる」と、ホールインワンまで狙った。

 驚くことに、本当にピンへ真っすぐ飛んだが、アドレナリンが出過ぎた。7メートルもオーバーし、連続バーディーは止まった。首位に追いつく可能性は消えてしまったが、それでも最終18番ではバーディーを挙げた。

 誰もが優勝をあきらめるような状況からでも、本気で勝ちに行く。プレーを見ながら、鳥肌が立ったのを覚えている。

 いつも勝つために、全力を尽くす。「松山って何がすごいの?」と聞かれるたび、こう答えている。

 14年にメモリアル・トーナメントでは、優勝争いを演じていた最終日の終盤、あろうことかドライバーのシャフトが折れた。

 今年2月のフェニックス・オープンでは、リッキー・ファウラーとのプレーオフになったが、数万人の観客の大半が相手を応援する“完全アウェー”だった。

 いずれも選手によっては「勝てない流れ」を自覚しする状況。だが松山は、いずれの試合も勝った。

 松山は日米ツアーでのプレーオフで、ここまで勝率100%を誇っている。

 ケガをしていようが、調子が悪かろうが、試合となれば全力で勝ちに行く。終始貫くその姿勢が、大事な勝負どころで、実力のすべてを発揮させているのだと思う。


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 ふと、入社直後、カメラマンとして巨人の宮崎キャンプを取材した当時のことも思い出した。

 チームを組ませていただいたのは、カメラマン歴30年の大先輩だった。

 その方には「ルーティン」があった。私を毎日、夕食後に海に面した巨人の宿舎へと誘った。

 そして2人で砂浜に三脚を立て、800ミリレンズで選手たちの「素振り部屋」を窓越しに狙う。

 先輩はかつて、大物選手が夜な夜な素振りをする姿をとらえ、紙面を飾ったのだという。

 のぞきのような仕事だし、他の報道陣は街に出て、地鶏のモモ焼きと芋焼酎で仕上がっている刻限だ。当時の私には、ひたすら苦痛でしかなかった。

 しかし数年後。私はその先輩の「すごみ」を知ることになる。

 ある俳優がバイクの男性をはね、業務上過失致傷の現行犯で逮捕された。翌日、本紙には窓越しに外から撮影された、警察署内を歩く俳優の写真が出た。

 聞けば警察署の階段の踊り場に、小さな窓があったのだという。そこを俳優の姿がほんの一瞬よぎったのを逃さず、先輩はシャッターを切った。

 姿に気付いてから、カメラを構えてレンズを向けたのでは、絶対に間に合わない。

 おそらく先輩は、あの夜の浜辺と同じように、ずっと臨戦態勢でレンズをのぞいていた。

 きっと30年間、どんな現場に行っても、ずっとそうしてきたのだと思う。

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 真のプロは「頑張るべき時」と「そうではない時」を区別せず、常に真摯(しんし)に物事に取り組む。槙野の言葉は、そのことを再確認させてくれる。

 16年2月27日、浦和にとってのJリーグ初戦、柏戦のキックオフ直前。槙野は今年も、手のひらを見つめ「頑張る時は、いつも今」と繰り返していた。

 取材対象はプロの中のプロだ。取材する側も、プロでなければいけない。槙野の姿をみて、身の引き締まる思いになった。【塩畑大輔】

 ◆塩畑大輔(しおはた・だいすけ)1977年(昭52)4月2日、茨城県笠間市生まれ。東京ディズニーランドのキャスト時代に「舞浜河探検隊」の一員としてドラゴンボート日本選手権2連覇。02年日刊スポーツ新聞社に入社。プロ野球巨人担当カメラマン、サッカー担当記者、ゴルフ担当記者をへて、15年から再びサッカー担当。