【藤田俊哉ノート】<W杯アジア最終予選:日本1-0イラク>◇B組◇11日◇埼玉
元日本代表MF藤田俊哉氏(40)が11日、新たに日刊スポーツ評論家に加わりました。現役時代には、黄金時代の磐田などで屈指のMFとして活躍し、MFとしては史上初の100得点を達成。また、オランダ1部のユトレヒトでもプレーし海外クラブを経験。さらに日本プロサッカー選手会の会長を務めました。幅広い経験をもとに、藤田氏の独自の視点を生かした評論を「藤田俊哉ノート」と題し、これからの日本サッカーのあるべき姿や、代表戦での勝負を分けたプレーの分析を読者に届けます。
そのジーコ監督と対戦したザッケローニ監督は狙い通りの戦いだったと思います。唯一の得点に至る過程はサインプレー。あれは準備し尽くしたコンビネーションだったと思います。根拠は左サイドでも同じ崩しが1度あったことです。
ベンチからサインが出る野球と違い、サッカーは試合中に、流れの中で選手がサインプレーを使うかどうかを判断します。監督からのサイン(指示)はありません。おそらく、あの位置で駒野選手のスローインならば、あのサインプレーが選択肢にあるんだ、というチーム内での約束があったはずです。具体的には、投げ手の駒野選手と、受け手の岡崎選手の間に、アイコンタクトはあったとは思います。ゴール前に詰めた前田選手ら攻撃陣は〝あうんの呼吸〟で飛び込んでいったはず。
相手はマンツーマンの守備でしたから、余計にあの動きは効果的です。現役時代からサインプレーはありましたが、FKの時が多かったですね。スローインからというのは2、3人の関係性で成り立つので短時間で準備がしやすい。それでもJリーグや数年前までの代表戦ではあまり見ない形で、日本人にとっては不得意なパターンともいえます。ただ、もう対戦国には研究され、同じ手は通用しない、そういう世界です。
会場の雰囲気は最高でした。国を背負って戦うというのは、特別なことです。「代表」は、サッカー界においても、社会においても飛び抜けた存在でなくてはならないと思います。
磐田でいっしょにプレーしたドゥンガ(元ブラジル代表監督)もそう言っていたし、カズさん(三浦知良)ともよくそういう話題になります。地位も、そして報酬も待遇も、すべてが飛び抜けているべきです。その分、彼ら代表選手はサッカーに限らず、日本のスポーツ界全体をよりトップのレベルへと押し上げていく重い使命を背負っています。
東日本大震災以降、暗い話題が多い日本を勇気付ける力が彼らにはあります。今日の6万人超のスタジアムを熱狂させたこの雰囲気をスタンドで感じ、あらためてそう思いました。(元日本代表MF)
◆藤田俊哉(ふじた・としや)1971年(昭46)10月4日、静岡県清水市(現静岡市清水区)生まれ。清水商2年時に高校選手権で優勝し、筑波大を経て94年磐田加入。年間優勝3回など、攻撃的MFとして磐田の黄金期を支え、01年JリーグMVP。03年オランダのユトレヒトに半年間期限付き移籍。04年磐田復帰後は名古屋、J2熊本を経て11年J2千葉に移籍し、同年限りで退団。今年6月まで6年間、日本プロサッカー選手会会長を務め、7月引退。J1通算419試合100得点。94年の初ゴールから14年連続得点を記録し、07年にMFでは史上初の100得点を達成。日本代表として95年から10年間で24試合3得点。

