強行出場の川内優輝(29=埼玉県庁)が、涙の激走を見せた。2時間9分11秒で日本人トップの3位に入り、レース後は大粒の涙を流した。先月12日に右ふくらはぎを痛め、今月2日には左足首を捻挫。レース序盤で左足がまひするほど満身創痍(そうい)だった中、世界選手権(来年8月、ロンドン)の代表入りへ名乗りを上げた。

 体の異変はすぐ来た。「何も感じなくなった」。15キロ地点。川内は左足の感覚がまひした。それでも「体はきつくなかった」と歯を食いしばり、必死に腕を動かした。マラソン界のレジェンド瀬古、宗兄弟の本を読んで、まねした1日100キロ走などで鍛えたスタミナは最後まで落ちない。3位で競技場のトラックに入ると、自然と涙が頬を伝った。2時間9分11秒でフィニッシュテープを切る。肩にタオルをかけられ、膝に手を付く。競技場におえつが響いた。大粒の涙が止まらなかった。母美加さん(52)は「悔し涙あっても、やりきった涙は初めてかもしれません」と話した。

 川内は左足を引きずり、係員に体を支えられながら会見場に入ってきた。「本当に最悪の状況でスタートラインに立った。このタイムで走れて、ホッとして涙が出てしまいました」。やり切った充実感が漂った。

 先月12日に右ふくらはぎを痛め、周囲からは辞退をすすめられた。今月2日の練習中には、段差につまずき左足を捻挫。前日3日に大会事務局へ痛み止めをもらいに行った。腹痛の副作用があるため、レース前は飲まなかったが、痛み止めは「いつでも飲めるように。お守り代わり」とポケットに入れて走っていた。満身創痍にも「応援が力になって」走り切れた。周囲の反対を押し切り、強行出場したからこそ、惨めな姿は見せられなかった。

 来夏の世界選手権は日本代表として戦う最後の大会と決心している。日本陸連の世界選手権への派遣設定記録の2時間7分以内には届かなかったが、日本人トップの3位。一時は先頭に立ち、30キロ以降はアフリカ勢と争った。川内は「(代表選出には)微妙なタイムですが、今の状態でここまでいけると思っていなかった」。ただ、日本陸連の瀬古長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは「レース展開、攻めのレース。(代表に)選ばれてもいい価値ある走り」と高評価だった。【上田悠太】

 ◆川内優輝(かわうち・ゆうき)1987年(昭62)3月5日、東京・世田谷区生まれ。埼玉・久喜高の定時制の事務員として勤務し、「市民ランナーの星」などと親しまれる。マラソンには64回出場。自己ベストは13年ソウル国際での2時間8分14秒。14年仁川アジア大会で銅メダル。世界選手権には11年大邱大会(18位)、13年モスクワ大会(18位)に出場。試合前日はカレーを食べるのがルーティンだが、「(福岡では)行きつけのカレー屋がつぶれてた」。175センチ、62キロ。