プレーバック日刊スポーツ! 過去の8月2日付紙面を振り返ります。2012年の1面(東京版)はリオ五輪でも活躍が期待される体操の内村航平がロンドン五輪男子個人総合で金メダル獲得でした。

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<ロンドン五輪:体操>◇2012年8月1日(日本時間2日)◇男子個人総合決勝

 金メダルだ! 無敵の王者の完全復活だ! 体操の男子個人総合決勝で、北京五輪銀メダリストで世界選手権3連覇中の内村航平(23=コナミ)が、合計92・690点で金メダルを獲得した。予選はミスが目立ち9位にとどまったが、決勝では本来の正確な演技を披露。最終種目の床で手をつくミスをしたものの、個人総合では84年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司氏以来、日本人28年ぶり4人目の金メダルで、日本体操史上初めて五輪と世界選手権を制した。08年11月の全日本選手権以来となる連勝も21に伸ばした。

 鬼門からのスタートだった。最初の種目は2日前の団体総合決勝の降り技でミスして、得点訂正の騒動になったあん馬。北京五輪でも2度落下していた。ぴりぴりする緊張感の中、内村は降り技できれいな倒立からひねり、完璧な着地を決めた。今大会で初めて出た両手ガッツポーズに満面のどや顔。悪夢を振り払い、一気に勢いづいた。

 続くつり輪も着地こそ1歩前に動いた。しかし、続く跳馬が圧巻だった。2回半ひねりの着地は微動だにしなかった。技の美しさを示す10点満点のE得点(実施点)は9・666点。世界王者が完全復活した瞬間だった。3種目を終わり、トップに立った。

 4種目の平行棒も着地で少しブレた以外はうまくまとめ、続く鉄棒ではF難度のコールマンを抜いた安全策で、着地をピタリと決めて15・600の高得点をマーク。この時点で金メダルをほぼ確実にした。最終種目となった得意の床で、珍しく手をつくミスを犯したが、全種目で15点以上の演技でまとめた。

 エースとしてチームをけん引してきた団体総合で金メダルを逃した。正確な着地に乱れが生じ、ミスも出ていた。何よりも精神的なショックが心配された。しかし、内村は「すぐに気持ちは切り替わる」と前を向いた。中1日。世界王者の真価が問われる舞台だった。

 誰よりも美しく、正確で、強い内村がよみがえった。原点は母周子さんの教えだった。昨年の世界選手権で“誤審”を生んだ高速回転のひねりは周子さん直伝。周子さんは「うちのクラブの生徒は、ひねりは日本一だと言われる」と胸を張る。母は、観客席で日の丸を握りしめ、祈るように息子を見つめていた。

 11歳の誕生日に買ってもらった縦12メートル、横2メートルのトランポリンは、難度の高い空中技を軽々とこなすのに役だった。暇さえあれば、トランポリンの上で跳びはね、驚異の空中感覚が養われた。「あのトランポリンが原点」と内村は話す。そこに、高校3年間の基礎練習、日体大進学後の経験が積み重なり、金メダリストの内村航平が完成した。

 心の底から願っていた団体総合の金メダルは逃した。「銀メダルでも4位でも変わりはない」。団体総合決勝後、悔しさだけが募った。笑顔1つなかった今大会。しかし、この日は世界最高のどや顔で、ようやく世界最強の体操が復活した。

 ◆内村航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日、福岡・北九州市生まれ。3歳で長崎・諫早市に移り、両親が経営するクラブで体操を始める。15歳で体操が強くなるために単身で上京。日体大に進学し、08年北京五輪では団体と個人総合で銀メダルに輝いた。09~11年世界選手権個人総合で前人未到の3連覇を達成した。両親と妹春日(はるひ)の4人家族で、全員が体操をする。160センチ、54キロ。得意種目は床運動。

※記録と表記は当時のもの