<トランポリン:ロンドン五輪代表最終選考会>◇28日◇東京・国立スポーツ科学センター(JISS)

 トランポリン界のサラブレッドが、2度目の五輪で、メダルに挑む。元世界ランク1位で、北京五輪代表の上山容弘(27=大体大大学院)が、予選2回、決勝1回の3回の安定した演技で、合計166・115点をマーク。2位に2・945点の大差をつけて、ロンドン五輪代表に決まった。元トランポリン選手で、北京五輪前にがんで亡くなった父剛さんとのメダルの約束をロンドンで果たす。

 決勝の最終演技者。上山は、最後の10本目の技を終えると、天を仰いだ。少し跳躍が乱れたが、まったく問題なし。演技終了後には、代表を確信した。「ほっとしている。なるべく無心になろうと心がけた」。会場には、母順子(よりこ)さん(55)が父剛さんの遺影を抱いて見守っていた。

 代表1枠を争う緊張感の中、各選手にミスが続出した。上山の最大のライバルで、北京五輪で日本トランポリン界最高位の4位に入賞した外村でさえ、予選2回目で失敗。5本目の跳躍で、大きくマットから外れた。横で見ていた上山は「1つのミスが命取り。気を引き締め直した」と話した。

 その2回目の演技がカギだった。難度点を除き、演技点、時間点ともに11人中トップ。ただ1人、59点台をたたきだし、ライバルたちを大きく引き離した。練習拠点を、今回の会場の国立スポーツ科学センターに移して1年。初めて筋トレを導入し、週4回、体を徹底的に鍛えた成果で、持ち味の高いレベルでの安定した演技を発揮した。

 06年に、W杯決勝大会で日本人初の優勝を飾った。北京五輪前の07年には、世界ランキング1位に躍り出て、一気にメダル候補誕生と騒がれた。しかし、本番では、思った以上に点が伸びず予選落ち。9位に終わった。「失敗しちゃいけないという思いが強すぎた」。後悔から、この4年は「攻める姿勢を貫いた」。

 父剛さんと、五輪でのメダルを夢見て、二人三脚で歩んできた。剛さんは、93年からトランポリン協会の競技部長を務めた。しかし、上山が北京五輪代表を決めて07年世界選手権から帰国した1週間後、がんで息を引き取った。母順子さんは「一緒に五輪に行くのが夢でした」と話す。父とのメダルの約束は、今度こそロンドンで果たす。【吉松忠弘】

 ◆上山容弘(うえやま・やすひろ)1984年(昭59)10月16日、大阪府泉南市生まれ。6歳でトランポリンを始め、府立日根野高3年で全日本選手権初優勝。05年シーズンはW杯で5勝を挙げ、決勝大会も制した。05年世界選手権銀メダル。北京五輪では9位。昨年の世界選手権では、伊藤正樹とともに日本に初の団体金メダルをもたらした。162センチ、59キロ。