今年も多くの選手たちがプロの世界を去った。第2の人生へ踏み出す彼らを特集する「さよならプロ野球」を、全12回でお届けする。

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出会いは人生を動かす。楽天から戦力外通告を受けた島井寛仁外野手(29)の元に、1本の連絡があった。「待っているから。他の話を聞いてきなさい」。社会人の熊本ゴールデンラークス監督で、運営元のスーパー「鮮ど市場」社長の田中敏弘氏からだった。

18年7月、西武戦の7回裏二、三塁、ペゲーロの遊ゴロの間に生還する島井(左)
18年7月、西武戦の7回裏二、三塁、ペゲーロの遊ゴロの間に生還する島井(左)

プロへの道も恩師の声で切り開かれた。高校卒業後、地元沖縄のビッグ開発ベースボールクラブへ入団。3年在籍後の11年、野球をやめようと思ったが知り合いを通じて田中氏から連絡が入った。「絶対にプロへ行かせてやる」。迷わず、籍を移した。

同社のモットーは「野球選手である前に立派な社会人であれ」。練習開始までの午前中は鮮ど市場飛田店の青果売り場で勤務した。店頭に立てば地元のお客から「頑張ってるの?」「調子はどう?」と声をかけてもらった。「顔も覚えました。試合に来てくれてうれしかった」。12年ドラフト5位で夢をつかんだ。

楽天島井の年度別成績
楽天島井の年度別成績

2年目の14年オフ、育成契約に。背番号は50から005に変わった。「3桁を背負った人にしか分からないものがあった」。周囲の目を気にし、自然と背番号の入っていないトレーニングウエアを手にとった。

新たな出会いもあった。16、17年に2軍監督を務めた平石現ソフトバンク打撃兼野手総合コーチ。「腹を決めていけ」と勝負どころで代走起用してくれた。「平石さんのためにも絶対に支配下になりたかった」。17年オフ、返り咲いた。

18年6月、ヤクルト戦の8回裏1死一塁、二盗を決める島井(右)
18年6月、ヤクルト戦の8回裏1死一塁、二盗を決める島井(右)

6年目の18年、代走でプロ初出場。2年後、戦力外通告。現役続行へ悩んだ。社会人野球4チーム、一般企業7社からオファーもあった。それでも「人に支えられてここまで来られた。恩、出会いを大事にしたい」と熊本を選んだ。株式会社鮮ど市場プラスジャパンへ就職。熊本ゴールデンラークス、鮮ど市場ヒゴバックスへの助言や地元のスポーツ振興事業に関わる。「次は僕が恩返しをする番ですね」。まだ見ぬ出会いが待ち遠しい。【桑原幹久】

19年楽天退団選手(※は育成)
19年楽天退団選手(※は育成)