オレンジとグリーンのラインが鮮やかな東海道線に乗り込んだ。品川からしばらくすると、列車は多摩川にさしかかった。河川敷には草野球の音が…しなかった。遠目にもグラウンドが荒れているのが分かる。昨秋の台風19号の影響だろう。当たり前の光景がなくなると、強烈な違和感と同時に、寂しさが湧いてくる。息をついていると川崎を過ぎ、横浜に着いた。


みなみ西口から歩こう。南幸橋を渡り、繁華街を抜け、真っすぐ西へ。20分ほどで環状1号を越え、旧東海道に行き当たる。左折し見えてくるのが、洪福寺松原商店街。八百屋、果物屋、肉屋、鮮魚店、ブティック、布団屋。懐かしい。右手の角地に目的の「丸秀園」はある。DeNA小池正晃2軍外野守備・走塁コーチ(39)の実家が経営するお茶屋だ。

98年8月、夏の甲子園で優勝メダルを首からさげ笑顔の横浜・小池正晃
98年8月、夏の甲子園で優勝メダルを首からさげ笑顔の横浜・小池正晃

母小夜子さん(66)は「名前に『小』が2つ入っているのに、態度は大きいの。ふふふ」と明るく迎えてくれた。横浜高出身の小池コーチは、西武松坂と同期。春夏甲子園連覇した98年は、さぞかし商店街も盛り上がったでしょう?

「夏はずっと甲子園に応援に行ってたから、分からないのよ。でも、残ってた娘が言うには、横高の試合時間になると、商店街からお客さんがいなくなったらしいわ。暑かったからかも知れないけどね」

あの夏。松坂の快投に、みんなテレビにくぎ付けとなった。春はどうでしたか?

「うちでバスを3台、チャーターして、応援ツアーを組んだのよ。初戦ね。お店のお客さん、正晃の中学の同級生、とにかく誰でも歓迎。夜、出発して、京都で温泉に入って時間をつぶして。でも、うちの子は打てなくてね。帰りのバスで『うちの息子は活躍できませんでしたが、ありがとうございました!』ってあいさつしたなぁ」

DeNA小池正晃2軍外野守備・走塁コーチの母小夜子さん
DeNA小池正晃2軍外野守備・走塁コーチの母小夜子さん

報徳学園戦、小池は3番右翼で先発。2打数無安打だったが、地元の声援は熱かった。その熱はプロに入ってからも続いた。お客さんから「息子さん、どうしてる?」と、しょっちゅう聞かれた。「オフになると『今年もクビがつながりました』って答えてね」。

松坂君はどんな子でしたか?

「すごい集中力がある子。うちにも泊まりに来たけど、マンガを読み始めたら『ご飯よ』と声をかけるまで読みふけってた。(昭和)55年(生まれ)の星。頑張って欲しいわ。やっぱりレジェンド。長く現役でいて欲しい」と願った。

商店街は、県民に長年親しまれている保土ケ谷球場が近い。夏の大会が始まると球場帰りのお客さんも寄ってくれる。「今年は、どうかな」が定番トーク。昔ながらの商店街には、確かに野球が息づいている。

帰り際、お店の大判焼きをいただいた。生地に抹茶が練り込まれていて、1口かむと香ばしく優しい味がした。多摩川を渡った時の気持ちが、いつしか明るくなっていた。(つづく)【古川真弥】