<阪神3-2横浜>◇2003年(平15)4月18日◇甲子園

闘将・星野仙一が率い、ぶっちぎりで優勝を決めた03年の阪神。虎党だけでなくプロ野球全体が熱に浮かされたようなシーズンだった。開幕から強かった阪神だったが「春の珍事ではない。これは違うで!」と思わせたのは4月18日の横浜戦だったと覚えている。

03年4月、横浜戦でサヨナラ本塁打を放った阪神桧山(右)と伊良部がヒーローインタビューでがっちり握手
03年4月、横浜戦でサヨナラ本塁打を放った阪神桧山(右)と伊良部がヒーローインタビューでがっちり握手

この試合、先発は移籍1年目の伊良部秀輝だ。開幕2戦目の横浜戦(横浜)で阪神での初勝利をマークするなど、この時点ですでに2勝を挙げていた伊良部だったが、甲子園球場はこれが初登場だった。

「現役の最後は甲子園で投げたいんですわ」。02年オフ、星野に電話をしてきた伊良部はそう訴えたという。地元・兵庫は尼崎で育った男。高校球児としてあこがれ続けた甲子園で現役の最後に暴れたい。そんな思いでの阪神入団だった。

横浜の先発投手は来日2年目となった元大リーガーのクリス・ホルト。阪神は3回に先制する。しかし4回、伊良部は連打を浴び、押し出し四球もあって逆転を許した。なんとか2失点でこらえた伊良部を援護する阪神打線は5回に追いついた。

そこから両チームは得点できず9回裏を迎える。9回表まで横浜打線を2失点に抑えて踏ん張っていたのは先発の伊良部だった。すでに132球を投げている。ここで勝てなければ交代だ。勝ち星はつかない。そんな場面、先頭で打席に入った桧山進次郎(日刊スポーツ評論家)が打った。浜風に乗せ、左翼席に2号サヨナラ本塁打。歓喜のホームに向かう桧山を、矢野燿大が、赤星憲広が浜中治が、八木裕が、そして伊良部が笑顔で迎えた。チームが1つになった瞬間だ。

阪神生え抜きの桧山は69年生まれで伊良部と同学年。このシーズンは投の伊良部、打の金本知憲という移籍組で勝ったとされるが、星野の考えは違った。

「お前みたいにずっと阪神におったヤツらが暴れて勝たないと意味がないんや」。桧山は星野にそんな話をされている。移籍組と生え抜きの融合。そこからの爆発。阪神監督2年目の星野が目指していたのはそこだ。

「いや~。甲子園は世界一ですよ」。桧山とともに受けたヒーローインタビューで発した伊良部のセリフだ。ヤンキースタジアムで投げ、メジャーの荒波を泳いできた男が、過去に知られたこわもてではなく、少し照れた笑顔で言った。

「ウオーッ」。盛り上がる甲子園の大観衆。この瞬間、星野の描いた絵は明確な形を取った。この時点で11勝7敗1分け。中日と並んで首位に立った阪神は以降、優勝決定までその座を明け渡すことはなかった。現実でも心理面でも阪神の優勝を予感させた試合だった。(所属は当時、敬称略)【編集委員・高原寿夫】