西武の育成新助っ人、ジャシエル・へレラ投手(24)は長い歴史を持つ日本球界で3人目のコロンビア人選手となる。南米大陸の北端にあるコロンビアの国民的スポーツといえば、やはりサッカー。そんな国の野球事情は?

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コロンビアの子にとっても、へレラにとっても、野球の原点は遊びにあった。空き地、公園、ストリートでの「CHAPITA(チャピータ)」だ。

「たぶん野球をやる人の多くはチャピータから始めていると思うよ」

ボールの代わりとなるのは、飲み終わったボトルの「ふた」など。それを長い棒をバットとして打つ。「サッカーをやっている子でも街でチャピータを楽しんでいる子はいっぱいいるよ」。投げる、打つ、捕る。その喜びを覚えていく。

もちろんサッカー人気が圧倒的な国。野球をやっているのは、キューバやドミニカも浮かぶカリブ海沿いの北部の地域に限られる。へレラもカリブ海に面した北部の都市カルタヘナ出身で「違うコロンビアの大きな都市はやっていないと思うな」という。「調べたことはないけれど」と前置きした上で「コロンビア全体でも野球をやっている都市は4、5しかないんじゃないかな? チームは全部で10ぐらいじゃない?」。そんな肌感覚だ。

へレラが野球を始めたのは14歳からだ。14歳より早く野球を始める子もいるが、チームの会費が高くて「普通の一般的な家庭では入れないよ」という。ただ14歳になると、「14~17歳」のチームのセレクションを受けられるという。才能を認められれば、比較的安く野球の指導を受けることができるのだ。そこで球宴5度出場した名遊撃手エドガー・レンテリアらのように、メジャーリーガーとなることを夢見る。へレラが所属したチームは「19人から25人くらい」で、マイナーなどでプレーしたコロンビア人コーチが2人いた。

練習場はサッカーと兼用だった。まず練習をするには早起きが必須。「サッカーと野球を一緒にやるようなグラウンドなので、朝8時ごろにはサッカーをやる人でいっぱいになっているんだ。だから5時半とか5時に来て、2時間ぐらい練習をしてた」。昼は学校、夕方は家業の手伝いの時間だった。決して恵まれた環境ではなかった分、強いハングリー精神も培われた。

昨秋のU23(23歳以下)ワールドカップ(メキシコ)などで、日本ハムなどでプレーし、現在は西武の国際業務担当フェルナンド・セギノール氏の目に留まった。日本球界で3人目のコロンビア人選手となった。チームに合流し、約1カ月半。「コロンビアはとにかく楽しんで野球をやる。日本の野球はそれだけじゃない。態度とか練習の姿勢とかに心を動かされました」。イースタン・リーグでは5試合に先発し、防御率4・28。まずは支配下を勝ち取ることが目標になる。

「自分が成功できれば、次世代のラテン系の選手にもチャンスを広げることになる。そういう使命を持っている」。新たな道を開拓する覚悟で投げている。【上田悠太】(この項終わり)

◆ジャシエル・ヘレラ 1998年1月1日生まれ、コロンビア・ボリーバル県カルタヘナ出身。14年にドミニカン・サマーリーグのジャイアンツでプロデビュー。ジャイアンツ傘下のマイナーで通算79試合登板の14勝11敗、防御率3・77。最速は156キロで持ち球はカーブ、スライダー、シンカー、チェンジアップ。05~06年にソフトバンクでプレーしたカブレラ、今季ロッテに加入したゲレーロに次ぐ3人目のコロンビア人選手として5月に西武に入団し、背番号116。198センチ、91キロ。右投げ右打ち。