全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫るシリーズ2「監督」の第6弾は、駒大苫小牧(南北海道)で夏の甲子園連覇を達成した香田誉士史さん(46)です。


 04年夏に北海道勢初優勝を飾り、05年には57年ぶり史上6校目の夏連覇を果たしました。エース田中将大(現ヤンキース)擁し、06年夏には3年連続で甲子園の決勝に進出し、再試合の末、早実(西東京)に惜敗しましたが、球史に残る大熱戦を演じました。雪国のハンディを乗り越えた監督の挑戦を全5回でお送りします。


 1月27日から31日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。


 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。



 昨年11月、完成したばかりの西部ガスのグラウンドに、駒大苫小牧元監督の・香田誉士史氏(46=現西部ガス監督)を訪ねた。駒大苫小牧を去った後も2年に1度くらいのペースでは会っていたはずだが、立派な球場の主となって、いつもの丸顔が昔のように輝いているような気がした。

 振り返れば、記者としての喜びや悲しみは、すべて香田監督と駒大苫小牧に教えられた。この職業を選んで良かったと思ったこともあれば、取材者という立場を恨んだこともあった。2007年に駒大苫小牧の監督を辞してから、10年。高校と社会人と舞台は違えど、ようやく「監督」に復帰したことが、自分のことのようにうれしかった。

 駒大苫小牧が2連覇を達成した直後から、相次ぐ不祥事に悩まされ続けた。連日、昼夜を問わず自宅に押し寄せるマスコミ、周囲の視線にいつしか精神を病んでいった。根性論が古きあしきものとされいく、過渡期でもあった。いつしか、人が、暗闇が怖くなった。飛行機に乗ると体調に異変を来した。06年夏、決勝で早実(西東京)と延長15回引き分け再試合を戦い準優勝に終わった時は、1人だけ陸路、電車を乗り継いで北海道へ戻っている。「人がしたことがないことをやりたいっていう欲はあった。でも、3年連続で決勝に行くなんてね。甲子園は夢のような、魔法にかかったような感じだった。負けた時は悔しいんだけど、ホッとしたもん」。対人恐怖症、パニック障害…。はっきりとした病名が付いたわけではないが、今でも飛行機に乗ると脂汗が止まらないから、睡眠薬は手放せない。そして、高校球界と決別した。

 香田監督は「名将」と呼ばれるのを嫌う。「指導者としては失格だった」と思うからだ。駒大苫小牧を去ってからは、教え子たちの行く末を案じて「償い」に奔走していたように思う。高校野球の監督として、他校から声がかかっても断り続けた。香田監督の中では、今でも高校野球=駒大苫小牧なのだ。「俺は社会人野球を経験していないでしょ。この舞台で日本一になってみたい。こんな機会をもらえて、本当に恵まれていると思う」。博多湾に面した西部ガスのグラウンドから、ゆっくりと航行する大型貨物船が見えた。まだ、46歳。新たな航海が、穏やかなものであることを祈る。【中島宙恵】