懐かしい場所だった。

甲子園のアルプスだ。夏空を背負って高々とそびえるスタンド、ひるがえる応援団旗、声をからす生徒たち。「1日ずっとそこにいて家族の声を拾うように」と先輩に言われ、熱い石段に座り込んでいた新人のころを思い出した。

暑さは年々厳しくなっている。新型コロナウイルス感染対策で、アルプスの人員にも制限があり、大応援団ですし詰めの風景は見られない。甲子園大会を取り巻く環境は、年々変わっていく。それでも、忘れられなくなる言葉、風景に出会える幸運は、仕事を始めたころと変わらない。

第104回全国高等学校野球選手権大会 智弁和歌山対国学院栃木 人文字でCマークをつくる智弁和歌山応援団(2022年8月13日)
第104回全国高等学校野球選手権大会 智弁和歌山対国学院栃木 人文字でCマークをつくる智弁和歌山応援団(2022年8月13日)

8月13日の大会2回戦。智弁和歌山のアルプスで、話を聞きたい人がいた。1番・左翼の山口滉起外野手(3年)のご家族だ。試合前に家族席に探しに行ったら「山口さんやったら、そこにいてはるで」とまわりの方が快く場所を譲ってくれ、隣り合わせで話を聞くことができた。

全国制覇を果たした昨夏も、山口は10番を背負ったベンチ入りメンバーだった。和歌山大会準々決勝翌日の練習中に右肘を骨折した。「以前から違和感があったんですが、投げていたら折れました。もうどうしようもなかったです」。今夏の和歌山大会中に聞いた、1年前を思い起こすしょんぼりした声が忘れられなかった。どうやって夏連覇を目指した智弁和歌山の「1番・左翼」への立ち位置にたどり着いたのか、家族の話を聞きたかった。

智弁和歌山 山口滉起(2022年5月29日)
智弁和歌山 山口滉起(2022年5月29日)

「そりゃ、骨折の直後は落ち込んでましたよ」。1年前を思い起こし、父晃一さんはタオルで汗をふいた。不運への恨み、このつらさは誰にもわかってもらえないと思い込む孤立感。「落ち込んで落ち込んで、お姉ちゃんとも大ゲンカしてました」。弟を思いやるあまり、奈落の底に落ち込んだような姿が歯がゆかったのだろう。

「でも立ち直って、ここにこうして戻ってきた。親としたら、それが一番うれしいんですわ」と父は笑った。それこそが家族の宝物だ。

高校最後の夏に向かう前も、山口は思い立って野球部寮のトイレ掃除にも毎朝励んでいたという。和歌山大会でその話を披露し、中谷仁監督(43)も「だからぼくも早起きしないとあかんようになって…」と笑っていた。

2点を追った初戦・国学院栃木戦の9回。先頭で山口は左翼線へ二塁打を放った。逆転にはつながらず、甲子園での最初で最後の安打になったが、智弁和歌山での2年半のすべてがつながった1本だったと思う。「耐雪梅花麗(ゆきにたえてばいかうるわし」。西郷隆盛の詠んだ漢詩の一部を、山口は好きな言葉に挙げていた。「苦しいときに覇気をもらった」のが理由。前進を支えたものが、いくつもあった。【堀まどか】