7月上旬の深夜。広島駅近くのコインランドリーに1人の男がふらりと現れた。長身、年齢は40代か。手には洗濯物を入れたバッグを持っている。野球に詳しい人が見たら「おや?」と思ったかもしれない。同時に「こんな時間に1人でコインランドリーにいるはずない」と思い直すはず。

そこにいたのは広島遠征中の指揮官・藤川球児だった。プロ野球チームは遠征中、ユニホームやジャージー類はすべて球団が洗濯する。私服でも頼めば、もちろん、ホテルが処理してくれる。だが球児は1人で袋を下げ、夜中のコインランドリーに出かけた。

「普通ですよ。米国にいるときも1人で行ってましたから。ホテルの人がついてこようとするけど、いいですよと断って。洗ってる間は近くを散歩する。野球のことは考えない。頭を空っぽにしてね。そういう時間を持つのがいい」

あっけらかんと話す様子は現役時代から不変だ。だが現在、置かれた立場はイヤというほど分かっている。球団から望まれて監督になった。しかも百戦錬磨の岡田彰布(オーナー付顧問)の後を受けて。戦力が整っているのは間違いない。それでも岡田ですら日本一に輝いた翌24年は勝てなかった。簡単ではない。

それが、この結果になると誰が予想したか。戦力を最大限にまでレベルアップさせ、常にチームとしてどう戦うかを意識してのシーズンだった。故障者による他球団の戦力ダウンがあったのは事実だが、それにより、この結果が軽く見られることはない。

「本当にいつもどうすればいいのかを考えている様子だった」。球団関係者はそう明かす。指揮官として自分をはっきりと位置づけ、年長者が多いコーチたちに、ときに厳しく声をかけることもあった。柔和な様子とは違い、本来の熱さがそこで表出し、ピリピリさせる場面もあった。「『令和の管理野球』かも」と話す関係者もいる。

「礼儀は必要だけど年功序列は関係ない」。そう言い切ったこともある。なにより阪神、そして虎党のために身を粉にしたシーズンだった。疲れることもあったはず。そんなとき洗濯物を持って1人、夜の街を歩き、再び戦いの場に戻った。自分自身をしっかりとコントロールして。「選手たちは強いわ」。優勝決定の第一声だ。創設90周年の球団はもちろん、プロ野球史に残るぶっちぎり優勝だ。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)