<全国高校野球選手権:天理2-1山梨学院>◇8日◇1回戦◇甲子園

あの日、練習から逃げた高1の自分に、山田はどんな言葉を送るだろう。それから1年半後の真夏。甲子園で天理に挑んだ山田悠希投手(3年)は、1歩も引かずに投げた。6回84球、無四球5奪三振、7安打2失点。今夏急成長の証しといえる投球だった。

あの日、山田は薄暗い寮の部屋で、不安に押しつぶされそうだった。「監督もコーチも気づかないはずだ」。練習を抜け出し、数人と行く当てもなく寮の部屋で過ごした。「練習がきつくて、きつくて。もういやになってしまって」。すぐに見つかった。吉田監督の怒りはすさまじかった。「ものすごく怖かったです」。

父大介さん(当時41)からの直電で言われた。「お前は何のために浜松から山梨学院に行ったんだ」。もっとも堪える父の言葉。返す言葉もなく電話口で固まった。浜松丸塚中時代、試合を見に来ていた吉田監督が潜在能力を買った。大好きな野球で、どこまで成長できるか。

「僕の黒歴史です」。甲子園を決めた7月下旬、山田は途切れ途切れに話してくれた。冗舌ではない。とつとつと語る口調から飾り気がなく、素朴な人柄がにじむ。つらい練習から逃げた自分もいる。そこからはい上がり、山梨大会でエースの座を奪った覚醒の夏を生きた。

天理戦で自己最速を2キロ更新する144キロ。外角いっぱいへ制球された真っすぐは天理打線を苦しめた。大会前、こう言っていた。「まだ右打者の内角には投げきれません。ぶつけてしまうのが怖いからです。でも、強豪と対戦するなら投げます。死球になってもいいと覚悟して投げます」。4回、右打者の4番戸井に135キロの内角球を左翼線へ二塁打とされた。

まだ、外角のような精度はない。今後の課題は「カウントを取れるボールを増やすこと、そして変化球の精度です」と言った。挫折はあった。肝心なのは繰り返さないこと。逃げない山田、立ち向かう山田には、この先どこまでも成長していける曲線が描けているはずだ。【井上真】