花咲徳栄・岩井隆監督(54)は決勝開始の1時間前、カメラマン席にいた。外野を眺める。赤とんぼが驚くほど多く舞っていた。
「何を間違っちゃってるんだろう?」
まだ夏だし、気温は40度近く。「とんぼが多いと、蚊も多いんですよ」。埼玉の夏を戦い二十数年、もうベテラン監督の域にいる。
チームは決勝で昌平との打撃戦を制し、5年ぶり9度目の夏の甲子園出場を決めた。
スタンドへのあいさつを終えると、岩井監督はその場で選手たちを集めた。「いろいろ大変だったけど、良かったな。おめでとう」。しばらくしてもまだ泣いている生田目奏主将(3年)に「おまえ、いつまで泣いてんだよ!」とちゃちゃを入れながら、指揮官も左手で目元をこすり、はなをすすった。
秋、春、夏、県内の全ての公式戦で優勝する「グランドスラム」を達成した。県内では33年ぶり4校目になる。
「本多さんに並ぶためにはグランドスラムをやりたいと思っていたので、それが達成できて本当に良かったです」
春日部共栄・本多利治監督(66)が今年3月末、24年度限りでの勇退を発表し、今大会は“最後の夏”になっていた。
かつては「当たれば楽勝」と言われていた東部地区を大きく活性化させたのが、高知県出身の本多監督だった。岩井監督は「本多さんは、埼玉みんなの監督です」といつも口にする。優勝を決めて、この日もあらためて。
「本多さんが埼玉の高校野球の監督だと思っているので。私の師匠は稲垣さん(故・稲垣仁司前監督)ですけれど、埼玉の高校野球の師匠は本多さんだと思っているので」
競い合い高め合い、埼玉に初めて夏の優勝旗を持ち帰ったのは、17年の岩井監督だった。15~19年と夏の5連覇を果たし、プロ野球選手も8年連続で輩出した。ただコロナ禍の20年以降、甲子園が遠かった。
「全然ダメで行けなかったわけではないので。いいところまで行って負けてたので。ただ、埼玉も若い指導者がいっぱい出てきてね…」
岩井監督、本多監督、浦和学院・森士監督、聖望学園・岡本幹成監督の「四天王」が埼玉球界の中心にずっといた。近年、昌平・岩崎優一監督に、山村学園・岡野泰崇監督ら、甲子園にチームを近づける指導者がどんどん台頭している。
「私が監督になった時には本多さんがいて、森さんがいて、岡本さんがいて、須長(三郎)さんがいて、それがもう僕だけになっちゃうので。もう少し頑張んなきゃいけないなと思って、この1年は本気でやってました」
本多監督、最後の夏。熱い議論を交わしながら、その背中をずっと追いかけてきた。心の奥底に「恩返し」の思いも込め、久しぶりに西へ行く。【金子真仁】
◆花咲徳栄 1982年(昭57)創立の私立校。生徒数は1673人(女子739人)。野球部は82年に創部。部員数は106人。甲子園出場は春5度、夏は5年ぶり8度目。OBに若月健矢(オリックス)西川愛也(西武)野村佑希(日本ハム)ら。所在地は埼玉県加須市花崎519。関正一校長。
◆Vへの足跡◆
2回戦14-1越谷東
3回戦9-0鴻巣
4回戦10-0星野
5回戦4-1滑川総合
準々決勝12-9西武台
準決勝3-1山村学園
決勝11-9昌平

