生まれつき左手の指がない県岐阜商の横山温大外野手(3年)が勝利に貢献した。同点打を含む2安打1打点。右手1本で鋭い打球を連発した。
「7番右翼」で先発出場。0-1の5回1死二塁からチェンジアップを右手1本で振り抜くと、鋭い当たりで一、二塁間を抜けた。「何としても同点に追いつくぞと思っていた。食らいつけたので良かったです」。二塁走者が生還すると、横山は笑顔でガッツポーズ。スタンドからは大歓声が上がった。
7回の第3打席では好反応でアウトにはなったが強烈な投直。8回には外角直球139キロを左前へとクリーンヒットを放った。チーム唯一の2安打に「打てると気持ちいい。自分が打って点を取れてうれしかった」と打撃で勝利に導いた。
右翼守備でも2度の飛球を無難に処理。6回には前進して飛球をキャッチ。二塁手とぶつかりながらも右手にはめたグラブからボールはこぼさなかった。
横山は生まれつき左手の指がない。先天性で原因は不明だが、兄や姉の背中を見て野球を始めた。岐阜大会では打撃好調で甲子園出場に貢献。「こういう体でもできるんだぞと証明していきたいですし、まだまだここから試合もあるので、勇気や希望を与えられるような存在になりたい」と真っすぐ前を向いた。
【球界の主なハンディ克服】
◆高校野球 51年夏、監督として平安を甲子園優勝に導いた西村(旧姓木村)進一氏は終戦半年前の45年3月、南太平洋のラバウルで手りゅう弾を受けて右手首を吹き飛ばされたが、右手の義手にボールを乗せ、左手でノックを行った。03年夏、甲子園に出場した今治西・曽我健太内野手は5歳の時、みかん畑で遊んでいてトロッコに挟まれ左足首から下を失ったが、義足でプレー。1回戦の日大東北戦では2つの三塁ゴロをさばいた。
◆プロ野球 43~54年に中日などでプレーした近藤貞雄投手は事故で右手中指を負傷したが、残り4本の指で投げるパームを武器に通算55勝を挙げた。
◆米球界 左腕のジム・アボット(ミシガン大)は生まれつき右手首から先がなかったが、88年ソウル五輪決勝で日本相手に5-3で完投し金メダル。ドラフト1巡目でエンゼルスに入団し、その後、ヤンキースで93年にノーヒットノーランを達成するなど大リーグ通算87勝。グラブを右手首に乗せ、投球後にグラブを素早く左手にはめ直す独特の「アボット・スイッチ」でプレーした。

