<高校野球福岡大会:折尾愛真5-4柳川>◇21日◇5回戦◇筑豊緑地

 シード校の折尾愛真が、柳川を下し初の8強に進んだ。2点を追う9回表、神がかりな粘りで3点を奪いミラクル大逆転を演じた。04年4月の創部当時、部員5人からスタートした奥野博之監督(44)の苦労が報われた。

 野球の神様ありがとう-。折尾愛真が2点を追う9回1死から「神がかりな」逆転劇を演じた。石田佳大外野手(2年)が代打起用に応え中前打するとすかさず二盗。2番池島啓介内野手(3年)も遊撃の失策で一、三塁とチャンスが拡大した。3番岩崎駿光外野手(3年)が中前打でまず1点。今度は一、二塁から重盗を成功。代打の橋本貴亮捕手(3年)が二、三塁からスクイズ失敗で万事休すと思われたが、5番松下翼(2年)が死球。2死満塁からミラクルが起こった。

 打席に入る前、瞑想(めいそう)し神経を研ぎすませた6番奥田智史捕手(2年)が値千金の大仕事をやってのけた。強振した内角直球のボールが右翼線に転がり2者が生還。奥田は二塁で、ど派手なガッツポーズを見せた。奥野監督が「勝負強い。心が強いのでやると思った」とたたえた。

 この日朝、同校グラウンドでの練習を終え会場に向かう際、奥野監督は草むらに転がったボール1個を見つけた。移動のバスに乗り込んだ選手を全員降ろし、用具の大切さを説き「そんなんじゃ勝てないぞ」と怒った。だが球場に到着してからは、選手を前に「練習を頑張ってきたんだから、もしかしたら野球の神様が勝たせてくれるかもしれない」と、その転がったボールをベンチに置き「お守り代わり」にしていた。

 04年の創部当時は、5人でスタート。専用グラウンドもなく公園で練習し、バットもボールも足りなかったという。翌年、新入部員の加入で練習試合が行えるようになったが2試合計40失点など散々だった。今こそ専用グラウンドを使うが、苦労を乗り越えてきただけに初の8強に喜びはひとしお。奥田は「目標は甲子園ですが、まずは次の試合へ、しっかり練習をしていきたい」と意気込んだ。【菊川光一】

 ◆折尾愛真

 1935年(昭10)に折尾高等簿記学校として創立。その後の折尾商業女学校などを経て02年に現校名に改称。03年に男女共学となった。普通科、看護科、商業科、看護専攻がある。野球部は04年創部で、部員は46人。所在地は北九州市八幡西区堀川町12の10。増田仰校長。