<アナタと選んだ史上最高物語(5)精神野球編>

 ◆史上最高の精神野球ベスト10

 [学校別]<1>池田(徳島)<2>箕島(和歌山)PL学園(大阪)広島商(広島)<5>駒大苫小牧(北海道)<6>智弁和歌山(和歌山)取手二(茨城)佐賀北(佐賀)横浜(神奈川)土佐(高知)

 [試合別]<1>松山商-熊本工(96・決勝)<2>横浜-PL学園(98・準々決勝)<3>松山商-三沢(69・決勝)<4>駒大苫小牧-智弁和歌山(06・準決勝)<5>早実-駒大苫小牧(06・決勝)仙台育英-高松商(78・1回戦)明徳義塾-星稜(92・2回戦)

 [個人]<1>大野倫(投手=沖縄水産)斎藤佑樹(投手=早実)【松山商、魂のバックホーム】

 「史上最高の…」という設問には、正直なところ幾つかの回答例を持っていた。ところが、この「史上最高の精神野球」については、ある種の大混乱が生じてしまった。精神野球をしたチームなのか、ある1試合におけるそれなのか、それとも個人にまつわるものなのか、回答が3通りに分かれてしまったのだ。

 試合別だと、松山商-熊本工の96年決勝戦における松山商の右翼手・矢野のサヨナラ負けを阻止したバックホームが最多得票。「もっともシビレる場面で見せたあのプレーは日頃の練習の賜物であると同時に、それを発揮するための精神力があってのものだと思います」。あの右翼手は決して鉄砲肩ではなかった。山なりの返球だったが、確かにあれほど魂のこもったバックホームを知らない。

 しかも、この古豪同士の顔合わせが良かった。熊本工といえば打撃の神様であり、巨人のV9監督川上哲治の母校である。以前、キャンプを回って安芸に来た時、この打撃の神様に「高波はどう?

 田中秀太は頑張ってるかな?」と尋ねられた。ナント渋い選手たちを…と一瞬驚いたが、すぐに分かった。高波も田中も熊本工の後輩だったのだ。「田中のオヤジさんにはずっと監督をしてもらっていたからな」。愛校心がまったく薄れていないことに、妙に感心した。

 松山商はこの川上の師匠(巨人入団時の監督)であり、その後阪神を率いた藤本定義の母校である。1962年、2リーグ分立後初めて阪神が優勝した時の監督でもある。投手のローテーションを考案した先取の気質にあふれた人でもあった。この両校の対戦を、偉大なるOBたちの分身の戦いのように見ていた。

 学校別では池田高の「蔦監督のやまびこ打線」が最多得票だった。金属バットの特性を生かして思い切ってスイングする豪快野球だったが、言われてみれば確かに精神性という面でも優れていたのだろう。2位には箕島(星稜に土俵際まで追い詰められながら延長18回勝利した)、PL学園(西田・木戸時代の逆転)と並んで広島商が入った。

 白ずくめのユニホーム。小柄な選手がキビキビと動いて堅い守りで相手の攻めをしのぐ。そして小技を駆使して1点をもぎ取る。広島商の野球は、高校野球のプロトタイプであり、理想型でもあろう。73年に全国制覇したメンバーに「真剣の刃渡りって本当にやったの?」と疑り深く尋ねたら「ハイ、やりました」と平然と答えた。真っ白なユニホームがこんなにも似合う精神野球のチームは、広島商以外になかろう。そういえば6位タイの土佐のユニホームも白が基調。常に全員が全力疾走で、甲子園にさわやかな風を送り込んでくれた。私の中の精神野球ランクは1に広島商、2に土佐で揺るがない。

 個人別では早実・斎藤佑樹の名があがった。ハンカチ王子の落ち着きは、精神野球と呼ぶにふさわしかったかもしれない。精神野球。何とも古風ではあるが、甲子園の醍醐味は、この風味が乏しければ何とも味気ない。(次回は12日予定=敬称略)【編集委員=井関

 真】

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