<アナタと選んだ史上最高物語(10)最強チーム編>

 ◆史上最強のチームベスト10

 <1>PL学園(85年・KKで全国制覇)<2>横浜(98年・松坂で全国制覇)<3>PL学園(87年・春夏連覇)<4>駒大苫小牧(04~06年・マー君世代)<5>池田(80年代・蔦監督)箕島(79年・春夏連覇)<7>取手二(84年・PL倒す)智弁和歌山(00年・強打のチーム)浪商(61年・最強法政二に勝つ)<10>銚子商(74年・土屋で全国制覇)【法政二倒した61年夏V浪商】

 夏の大会が終わると、なぜか心の中に隙間風が吹きこむ。夏はまだ盛りだというのに、季節が急に進んだような寂しさ。

 無常観…だろうか。夏の高校野球は、もはや絶対に繰り返すことは出来ない。その1回限りの夏が過ぎ去ったのだ。そこに寂しさ、切なさの源流があったのだろうか。

 しかし、この「1回限り」が、高校野球の面白さをなお増幅するのだ。史上最強チームはどこか?

 時代を超えた対戦が不可能だから、想像力がかきたてられる。2001年に出た「甲子園優勝校物語」(日本スポーツ出版社刊)には「甲子園最強の優勝校はどこか」という読み物があり、1922年の和歌山中から98年の横浜まで24の高校による仮想大会が展開される。

 決勝戦はどんな顔合わせになったか。85年のPL学園と55年の浪華商の大阪勢が激突するのだ。延長11回、浪華商が坂崎一彦の劇的なサヨナラ本塁打で、最強の優勝校の称号を手に入れる。

 もっとも読者の皆さんの判定では、仮想大会決勝戦の結果は逆さまになった。85年PL学園が1位に。「桑田、清原だけではない。内匠、松山、黒木とスター揃いのチームでした」「2年桑田の絶頂時。松本、旗手の二遊間を中心にした守備力は秀逸」。強さのバックボーンはKKコンビを支えた選手たちだったろうか。

 僅差で98年の横浜が続いた。ここでも「松坂は凄かったが、守っていた8人がもっと凄かった」「どんな逆境でも負けない強さは最強。投攻守走、チームワークも完璧」と、松坂以外の選手たちを高く評価する。人気を独占するスターよりもむしろ縁の下で支える選手たちに目を向けてくれるのは嬉しい。3位は87年のPL学園、次は04年から06年の駒大苫小牧…。

 私はこれまでに出てきたいずれの学校でもなく、61年夏を制した浪商こそが史上最強だ、と思っている。甲子園では60年夏、61年春と法政二が夏春連覇を達成している。エース柴田勲を中心にエンドランを多用して向かう所敵なし。浪商は2度戦って2度とも敗れ去った。そして61年夏、準決勝で3度目の顔合わせ。

 エースは2年の尾崎行雄、捕手は早大からオリオンズに進んだ大塚弥寿雄、二塁手は明大から阪急の住友平、三塁は近大から阪急の大熊忠義、そして外野に1年の高田繁(現ヤクルト監督)がいた。2年で中退して東映入りした尾崎はいきなり20勝をあげている。プロで20勝する力がある投手が投げ、実力者たちが守る。法政二との宿命の対決は、土壇場で追いついた浪商が延長11回、4-2で初めての勝利をつかんだ。そして、決勝戦も桐蔭を破って2回目の優勝…。

 法政二は憎たらしいほど強かった。しかし、浪商はもっと強かったのだ。

 90回目の夏は去っていく。大会が3ケタを刻む時には、史上最強伝説も大きな変容を見せるのだろうか。そんな楽しみに浸っていたら、無常観も消え失せていく。夏の終わりは、新しい夏の始まり、でもある。(おわり=敬称略)【編集委員=井関

 真】

 ※「日刊スポーツ」大阪本社版で「伝説」好評連載中。