日本ハムは2018年で北海道移転15年。過去の名場面、珍場面を、当時の紙面とともに振り返ります。

<07年8月26日付>

「守備職人」のイメージは大きく変わった。見出しには「満塁マン」。原稿中には「新・満塁男」とある。金子誠は西武戦の6回2死満塁、中前へ2点適時打を放ち、この時点でシーズンの満塁時成績が、14打数8安打、打率5割7分1厘とした。最終的にはこの年の満塁時は18打数9安打、打率5割、19打点と絶好機にめっぽう強かった。

2年後の09年には、自己最高の打率3割4厘、14本塁打で「恐怖の9番打者」と呼ばれるようになるのだが、“前触れ”はこの時点からあった。

自身を「あまのじゃく」と称する金子誠の言葉は、素直には受け取れない。この日も「何も考えてないから打てただけ」とボソリ。そんなはずはない。地道な練習の積み重ねと、チーム随一の「野球脳」で考え抜かれた配球の読み。ピンチで金子誠を迎える相手投手は、相当嫌だったに違いない。

余談だが、日本ハムは10年6月20日オリックス戦で、プロ野球史上4度目の快記録をつくっている。「1イニング2満塁本塁打」。小谷野のグランドスラム後、さらに猛攻で再び満塁の好機をつくり、この回2本目の満塁弾を放ったのは、もちろん金子誠だった。