阿部壮汰さん(18)は東日本大震災直後、楽天・田中将大投手から勇気をもらった。避難所を訪問したプロ野球選手に目を輝かせた野球少年は、その時もらったサインボールを宝物に、この10年を走り続けてきた。

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静かな日は波の音が聞こえる。宮城・東松島の自宅の部屋で、阿部さんは大事そうに軟式球を手に取った。「宝物です。真っ白なサインボールも飾ってますけど、特別な存在感。少し汚れてて、サインも消えかかってますけど」。背番号18、楽天田中に書いてもらった。

11年4月8日は、特別な1日になった。

楽天の選手たちが、避難所になった大曲小にやって来た。小学3年生だった阿部さんの自宅は津波で全壊。波に追われながら車で逃げ、内陸の母親の実家に避難していた。約1カ月ぶりに大曲ドリームズのチームメートたちと再会し、一緒に到着を待った。「誰が来るか知らなくて。タクシーから田中選手や嶋選手が降りてきて『すごい。まじかー』て」と、今でも興奮を思い出す。平石(現ソフトバンク・コーチ)が投げてくれた球を思い切り振った。体を動かしたのは、久しぶりだった。

いろんな選手からジャンパーにサインをもらったが、手元にあったボールは練習球が1つだけ。「チームの顔」と、迷わず田中に書いてもらった。「大きな手で握手してくれました。見上げる感じ。大きかった」。元気が湧いてきた。

野球を続けた。石巻工ではケガもあり、最後は控え。それでも3年間やり抜いたのは、震災の経験があるという。「負けたくなかった。震災の時、生きるために頑張った先に普通の生活が待っていた。小さかったけど『頑張る』ことは、すごく意味があると思いました」。もう1つ、選手たちと接し感じたことがある。

「1つのことを極めた人たちからもらえる力って、すごいんだなと。プロという名前がつかない人でも、職人だったり、何かを極めた人たちは尊敬します。自分は、まだ学生で、進路もフラフラしてますけど、何か1つのことを極めたい」

昨春から東北学院大工学部で学ぶ。コロナで描いていたキャンパスライフは送れていないが、自宅を再建してくれた大工の姿から物作りに興味を持った。将来は「漠然としてますが、自分で作業して何かを作り出したい」と志す。「野球のおかげで出会いがあった。感謝してます」と、準硬式でプレーも続ける。

この10年、苦しい時も、楽しい時も、部屋に飾った宝物を見て過ごした。「今まで野球を続けているのも何かあるのかなと、このボールを見ると思います。田中投手が帰ってきた。うれしいです」。少年が手に入れた大事な宝物。今までも、これからも、特別な1球だ。【古川真弥】

◆楽天の避難所訪問 11年4月8日、4グループに分かれ宮城県内の避難所を訪れた。星野監督、田淵、佐藤両コーチは山元町。鉄平、岩隈、銀次らは女川町。嶋、田中、平石、青山らは東松島市。山崎、高須、松井らは名取市と仙台市。前日7日に関西から空路山形経由で、震災後初めて仙台に戻った。その足で、星野監督、田淵、佐藤両コーチは仙台市内の避難所を訪れた。7日深夜にはマグニチュード(M)7・1の余震が起き、仙台・宮城野区では震度6強を記録した。