エンゼル大谷翔平投手(27)が初出場する大リーグのオールスター戦が、13日(日本時間14日)にコロラド州デンバーで開催される。パドレス・ダルビッシュ、マリナーズ菊池とともに、日本人選手3人選出は歴代最多タイになった。先人たちが彩ってきた特別な一戦が、間近に迫っている。

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今からさかのぼること26年前の1995年。野茂英雄がメジャーに挑んだ際、周囲は「通用するか、どうか」を話題にしていた。今となっては、甚だ失礼な話だが、近鉄(当時)退団時にイザコザがあったこともあり、その大半はネガティブな声ばかりだった。その野茂がデビュー以来、個性的なトルネード投法で三振の山を築き、前年のストライキの影響で球界に嫌気が指していた米国ファンは、一気に熱狂した。その結果、同年の球宴(テキサス州アーリントン)に日本人として初めて選出され、しかもナ・リーグの先発投手としてマウンドに立った。

95年、野茂は「大リーグに来て良かった」と先発登板。刻んだ歴史の1歩目>>

渡米前、日本人選手がメジャーの「夢舞台」に立つことなど、だれもが予想すらできないことだった。

01年、イチローが日本人野手として初めてメジャーへ移籍する際も、ご多分に漏れず、「通用するか、どうか」が頻繁に語られた。「バットを短く持った方がいい」と、真顔で懸念する評論家もいた。だが、イチローも、アッという間に米国中を魅了した。地元シアトルで行われたオールスターには、ファン投票で最多得票を集めて選出された。「1番右翼」でスタメン出場した第1打席では、マリナーズの背番号「51」の前任者でもあるランディ・ジョンソン(当時ダイヤモンドバックス)と対戦。快足を飛ばして内野安打をマークした。この試合では、マリナーズの同僚、佐々木主浩が日本人メジャーとして初セーブを記録した。

01年初出場イチローは「うれしい」を連呼 背番号「51」対決に沸いた>>

01年大魔神佐々木は世界の「SASAKI」になった>>

イチローが野手として初スタメンでジョンソンから初安打、そしてクローザーの佐々木が初セーブ。

いずれも、数年前には予想できないことだった。

03年には、松井秀喜(ヤンキース)がファン投票3位で選出された。前日の公式練習では、ファン投票1位のイチローと松井が外野でキャッチボールをする光景が実現した。「イチローさんが一緒にやろうか、と声を掛けてくれたんです」(松井)。1歳違いながら互いに高校時代から面識があり、練習試合後、星稜高の大浴場で一緒に汗を流したこともある間柄。そんな2人が、メジャーの球宴で、「1番イチロー」、「7番松井」としてスタメン出場した。プロ入り後、スーパースターとなった後も、めったに接点のなかった2人が、ともにメジャーの夢舞台に立ち、笑顔でキャッチボールを繰り返し、スコアボードに名前を連ねた。

ゴジラ&イチロー両雄が並び立つ!貴重な03年の写真>>

日本在籍時には、予想すらできないことだった。

01年以来、10年連続で選出されたイチローは、07年には球宴初となるランニング本塁打を放ち、日本人初のMVPに選ばれた。当時、すでに年間最多安打の262安打を放つなど、メジャーでもスーパースターとなっていたイチローの実績からすれば、さほど驚くことではなかったかもしれない。ただ、米移籍前に「バットを短く持った方がいい」と言われた選手が、メジャーの球宴でMVPを獲得した。

07年イチローはメジャー史上初の大記録でMVP獲得>>

少なくとも、その10数年前には、誰も予想できないことだった。

今年の球宴には、「二刀流」として活躍する大谷翔平が初出場する。日本人として初めて出場するホームランダービーで豪快なアーチを連発し、翌日の球宴にはDHとしてスタメン出場して本塁打。さらに、DHを解除して救援登板し、時速100マイル(約161キロ)の剛速球を投げ込む――。

そんな前代未聞の可能性も、今や夢物語ではなくなった。

野茂、イチロー、佐々木ら先人達が切り開き、大谷まで脈々と続く日本人メジャーの球宴史。

メジャーの球宴が、誰もが予想できないような「夢」をかなえるための、特別な舞台であることは、今も昔も変わっていない。【四竃衛】

【ストーリーズ】大谷が「世界一の選手になる」と言って海を渡った日/二刀流養成プログラム>>