暴投が「平成の怪物」誕生につながった。横浜高元監督の渡辺元智氏(76)が7日、引退が発表された教え子の西武松坂大輔投手(40)をねぎらった。3年時の98年に史上5校目(当時)の甲子園春夏連覇を達成。高校野球史に輝く活躍を遂げたが、2年夏に味わった“挫折”がターニングポイントだったと指摘した。

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98年夏の甲子園。延長17回の激闘を制したPL学園との準々決勝、6点差から逆転勝利した明徳義塾との準決勝、そして、ノーヒットノーランで春夏連覇を果たした京都成章との決勝。「平成の怪物」となった松坂だが、渡辺氏の脳裏に真っ先に浮かぶのは、華やかさとはかけ離れたシーンだった。

「私は2年夏、Y校(横浜商)戦で暴投して負けたことが、人生の大きな糧、ターニングポイントになったと思います」

97年夏の神奈川大会準決勝。2-1の9回に追い付かれ、なお1死一、三塁。スクイズを外そうとした松坂の投球が高めにそれ、暴投サヨナラ負けを喫した。

「目に涙をためてました。そんな姿を見たのは、最初で最後。勝っても見たことがありませんでした」。

スクイズを外す練習は、していたという。

「厳しく叱咤(しった)してしまった。後になって考えると、申し訳なかったと思います。練習の結果ですから。でも、松坂は言い訳もせず、みんなに『悪かった』と。『ワン・フォー・オール』とも口にするようになりました。それでチームが1つになった。44連勝のスタートでした」

チームはその年の秋から勝ち続け、翌年の甲子園春夏連覇の“栄光”へつながっていく。出発点には、エースの“挫折”があった。

プロに入ってからも、日本で、世界で、多くの栄光を手にした。一方で、現役終盤は苦しむ日々が続いた。その生きざまこそが、称賛に値すると恩師は考える。

「世界中にコロナや自然災害が起き、苦しんでいる人がたくさんいる。松坂は栄光と挫折、両方の野球人生を味わった。そのことが、苦しんでいる人たちに、力強いインパクトと勇気を与えた気がします。一世を風靡(ふうび)しながら、肩が上がらなくなるまで、限界まで野球人生を貫いた。最後までひとつの道をやり遂げようという、生きる姿が、世の中は順調にいくだけではないということを教えてくれました」。

贈る言葉で締めた。

「『よくやった。おめでとう』と言いたい。我ひとつの道をもって、これを貫き通す。まだまだ、もっとやりたいという思いもあるかも知れませんが、自分だけの人生ではないので、それも許されない。でも、自分なりの人生をぎりぎりまで貫いた。最後は本人が決断したのだと思います」。

教え子を語る口調は、熱く、優しい。【古川真弥】