1人の選手を指名するまで多くのドラマがある。97年ドラフトで、阪神はのちにエースとして沢村賞を獲得した水戸商・井川慶投手を2位で指名した。高校時代は腰痛に苦しんでいた左腕をいかにして上位で獲得したのか? 担当を務めた元阪神スカウトの菊地敏幸氏(71)が指名に至る秘話と伝説の名スカウトとの出会いを明かした。【酒井俊作】(敬称略、後編は無料会員登録で読むことができます)

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意外な事実だった。25年間、逸材を追ってきた菊地敏幸が打ち明けた。「井川はね、一発目を見てなかったら指名はなかったよ」。阪神は水戸商の井川慶を97年ドラフト2位で指名。03年に20勝で沢村賞に輝き、05年と2度の優勝に導いた左腕エースだ。

「投球はほとんど見ていない。春の1試合と、夏の試合は見ているのかな。でも、まともな投球をしていない。井川は春の印象しかないんだよな」

一目惚れだった。「井川って名前、私はほとんど知らなかった」。89年から関東地区のスカウトとして活動。「水戸商にいい投手がいるよ」とウワサを聞きつけたのは97年の春だった。4月27日に茨城・笠間での竜ケ崎一戦を視察した。6球団ほどが見に来ていた。「そんなに期待もしていない。ノッシノッシって入ってきてな」。衝撃だった。7回参考記録ながら完全試合。アウト21個中、10者連続など18奪三振。心を奪われた。

「自己流だけど、馬力の塊。わしづかみで投げているんじゃないのって。重そうな、ズドーンという球」

1カ月前の残像と重ね合わせた。3月、甲子園で行われたセンバツで、NO・1左腕と評され、プロに注目される平安(京都、現龍谷大平安)の川口知哉をチェックしていた。茨城で同じ長身サウスポーの姿を比べた。「こっちだよな。これはすごいぞ。体もスゴイ。大物になる」。息をのんだ。その後、茨城に行けば、必ず水戸商のグラウンドに顔を出すようにした。「だけど、ほとんど、投げなかったんだよな」。思いがけない誤算があった。

井川は5月から腰痛で苦しみ、痛み止めの注射を打ちながら投げていた。夏はコルセットをして準々決勝から2試合に投げたが、最速142キロの速球は影を潜め、130キロ台前半。春の力強さは消え、甲子園出場を逃した。「部長を連れて行って、ボロボロだった…。ロージンをとるのもしんどそうでね。負けて、炎天下で、この投球じゃ、あかんな…」。編成部長の横溝桂の反応も悪かった。

阪神は毎年8月、夏の甲子園で出場校が一巡するとスカウト会議を開く。菊地氏はあきらめられなかった。席上で推した。「井川は腰が不安です。夏、ロクに投げてません。ただ、モノはいいです」。会議後に部長の横溝に呼ばれた。「井川をとれ」。素材が買われた。くぎも刺された。「みんなには言うな」。チーフスカウトの末永正昭と2人だけで極秘で動いた。

井川の腰は大丈夫か。この一点が懸案だった。

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