元広島監督で楽天編成部長の三村敏之氏が3日午前10時5分、心不全のため仙台市内の病院で死去した。61歳だった。2日にはコーチ会議のため球団を訪れていたが、体調不良を訴え帰宅。その夜、病院に搬送されたが、帰らぬ人となった。現役時代は「赤ヘル打線」の2番打者で75年初優勝に貢献。94年から5年間、監督を務めた。今年5月には肝臓がんの手術を受けるなど体調不良が続いていたが、職場復帰した三村氏の突然の悲報に、球界には衝撃が走った。
楽天が秋季練習で来季へのスタートを切った日、三村氏の急逝がチームに知らされた。2日夜、仙台市内のマンションで吐血するなど、体調が急変して緊急入院。長女が付き添ったが、快方には向かわなかった。午後5時には広島から駆けつけた洋子夫人ら家族と、無言の対面となった。
突然の訃報(ふほう)に選手、コーチ、球団関係者にはショックが走った。練習を一時中断し、米田球団代表から三村氏の死去が伝えられると、全員で黙とうした。米田球団代表は「おととしから編成部門の長として尽力されていました。非常に残念に思います。ご冥福をお祈りします」と沈痛な表情だった。
07年12月から楽天のチーム統括本部編成部部長に就任。来季も手腕を発揮するはずだったが、早すぎる死となった。最後まで側面からチーム強化に力を尽くし続けた。2日午前中にはブラウン新体制初となるコーチ会議で球団を訪れていたが、発熱など体調が悪く「よろしく頼みます」と言葉を残し帰宅していた。
今年5月初旬には肝臓がんの手術を受けていた。約2カ月の療養期間を経て気力で現場復帰したが、体調不良は続いていたという。それでも8月1日から札幌でのアジア野球選手権を視察。10月には宮崎のフェニックスリーグも視察し、10月29日のドラフト会議にも出席していた。体調が思わしくない時でも球団内でテレビ観戦するなど、野球から離れる時はなかった。
現役時代の17年は広島一筋でベストナインを3回獲得、オールスターにも4回出場。94年からは広島の監督を5年間務め、Aクラス入りに4度導いた。編成部長就任後も08年に広島からトレードで佐竹を獲得。09年には一場投手を放出し宮出を獲得するなど、補強に尽力。豊富な経験と実績、人脈を持つ球界の「名士」が惜しまれつつこの世を去った。
[2009年11月4日9時9分
紙面から]ソーシャルブックマーク



