プロレス界で「天才」「プロレスリング・マスター」と呼ばれるレジェンド、武藤敬司(56)が、10月でデビュー35周年を迎える。9月1日にはW-1の横浜文化体育館大会で、記念試合も行われる。35年間、日本のプロレスのトップに君臨してきた武藤に、過去と未来を語ってもらった。

「プロレスは芸術だ」。35年たった今も変わらぬプロレスLOVEを語る武藤敬司(撮影・中島郁夫)
「プロレスは芸術だ」。35年たった今も変わらぬプロレスLOVEを語る武藤敬司(撮影・中島郁夫)

武藤は昨年、両ひざに人工関節を入れる手術をして、今年6月26日の長州力引退試合で復帰した。復帰に当たっては代名詞のムーンサルトプレスを封印。その代わりに、新たな武器となるワザに取り組んでいる。

「これからやっていかなきゃいけないのは、ドロップキック。今のオレは、自分にふさわしいワザか、向いていないワザか選別していく作業をしている」

武藤敬司の両膝の手術痕
武藤敬司の両膝の手術痕

55歳で両ひざの大手術に踏み切ったのは、現役を続けていく強い気持ちがあったからだ。

「プロレスでしか、自分を表現できない。引退? 今はないよ。できるなら、生涯プロレスをやっていきたい」

そこまでプロレスにこだわる理由は何か。

「朝6時に起きて、9時から練習する。このルーティンをもう何十年も続けている。このルーティンを続けていくためには、試合というものがあって、試合に向かって練習していかないといけない。これがなくなるオレの生活が想像できない」

84年10月7日、同期入門の蝶野正洋戦でデビュー戦勝利。翌年秋には米国武者修行に出された。米国では、その天才ぶりから、多くのプロモーターの注目を集めた。

「デビュー戦から勝って、ムーンサルトプレスを引っ提げて米国に渡った。そこではい上がった。活躍が認められて、メジャー団体から初めてスカウトされた。米国のメジャーからスカウトされたレスラーは、オレが日本で初めてじゃない?」

日本に凱旋(がいせん)帰国してからは、「闘魂三銃士」として一時代を築いた。

「上に長州、藤波、前田。下には馳、佐々木健介がいた。層の厚い時代だった。一見ライバルみたいに見られたけど、オレたちは運命共同体。同じ時代に一緒に団体を引っ張ったんじゃなくて、それぞれが次々に時代をつくっていった。その後、みんなが新日本を離れ、別れてから初めて本当のライバルになったんだ」

6月26日、長州力の引退試合で石井智宏(左下)にフラッシングエルボーを見舞う武藤敬司
6月26日、長州力の引退試合で石井智宏(左下)にフラッシングエルボーを見舞う武藤敬司

56歳で武藤は、これまで築いてきたものとは違う新たな武藤としてのプロレスラー像を模索している。

「ベルトも30本以上巻いて、もう馬場さんよりたくさん取ったから、これ以上タイトルを取る必要はない。オレ自身は楽しんで、見てくれるお客さんとともに楽しい空間をつくれればいい。そして、見ている人を元気にさせたい」

9月1日、35周年記念試合では、カズ・ハヤシ、ペガソ・イルミラルと組んで、TARU、レネ・デュプリ、ゾディアック組と対戦する。この試合で、どのような新しい武藤が見られるか楽しみだ。【取材・構成=桝田朗】