名前の頭文字から「GGG(トリプルジー)」が愛称となる。プロボクシング元3団体統一ミドル級王者で現IBF世界同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(40=カザフスタン)は常に同級最強を証明してきた。

【村田諒太vsゴロフキン】日本史上最大の決戦 世界ミドル級王座統一戦/ライブ速報>>

04年にアテネ・オリンピック(五輪)で銀メダルを獲得し、06年にプロ転向後は連戦連勝。10年にWBA世界同級暫定王座を獲得し、14年にWBC世界同級暫定王座(ともに後に正規王者昇格)、15年にはIBF世界同級王座も獲得し、3団体を統一した。

16年には元WBC世界スーパーバンタム級王者ウィルフレド・ゴメス(プエルトリコ)に並ぶ世界戦歴代最多タイの17連続KO防衛に成功。36歳となった18年には、世界ミドル級で元4団体統一同級王者バーナード・ホプキンス(米国)と並ぶ歴代首位タイの20度連続防衛も達成した。

村田との王座統一戦は20年12月のカミル・シュメルタ(ポーランド)戦以来となるが、コロナ禍前の19年までは年2~4回とコンスタントにファイト。8日に40歳に到達したが、大きな故障やダメージ蓄積が少ないのも「怪物」であることの証明だろう。唯一の敗退となった現4団体統一スーパーミドル級王者サウル・アルバレス(メキシコ)との2戦目も微妙な判定負けだった。19年にDAZNと6試合契約で約1億ドル(約120億円)の契約を結び、1試合で10億円以上稼ぐ世界的なスーパースターとなっている。

82年4月、カザフスタンのカラガンダで炭坑労働者の父イワノヴィッチさん、母エリザベートさんの間に双子の弟マックスととも誕生した。ロシア生まれの父、母親の父は韓国人だった。ゴロフキンは2人の兄(ヴァディム、セルゲイ)に連れられ、8歳からボクシングジムに通い始めたという。その2人の兄はともにロシア軍人として90年代に戦死。国内情勢が不安定で、国全体が逼迫(ひっぱく)した状況でもあり、少年時代からリングで大きな夢に懸けるしかなかった。

アマチュアで躍進した。アジア大会、世界選手権で金メダルを獲得し、04年アテネ五輪で銀メダルを獲得。2年後の06年にドイツのプロモート大手ウニベルスムと契約を結び、元世界ランカーらを下して世界ランク入り。世界ヘビー級4団体を独占したクリチコ兄弟(兄ビタリ、弟ウラジーミル)が運営したK2プロモーションとの契約を経て、現在、タッグを組むアベル・サンチェス・トレーナーと出会ってパワフルなボクシングがさらに進化した。

10年に58秒殺でWBA世界ミドル級暫定王座を獲得後、すぐに正規王者に昇格。米国大手ケーブルテレビ「HBO」のサポートも手伝い、米国進出した12年頃から知名度は一気にアップ。14年に父が心臓発作で死去という悲しみを乗り越え、世界ミドル級のど真ん中を歩いてきた。同じ14年には、米国の永住権を得て、カリフォルニア州で妻アリーナ夫人と子供2人と在住している。

ハングリーな少年時代を経て、アマチュアで躍進し、プロでミドル級最強の称号を手にしたゴロフキン。村田戦の前日に40歳のバースデーを迎えたGGGは「素晴らしい試合を約束する。見逃してはならない試合」と村田との激突を楽しみにしている。20年12月の初防衛戦以来、1年4カ月ぶりのリングで健在ぶりを見せつけることができるか。