元関脇富士桜の中沢栄男氏(73)は元麒麟児の垂沢氏の訃報に触れ、75年夏場所中日の天覧相撲を「力士として一番の思い出」に挙げた。

「相撲は負けたが、一番の思い出になっている。向こうもこっちもいい相撲がとれた。やり切った感があった」と振り返った。

昭和天皇は富士桜ファンになったとまで言われたが「いい相撲を見せられてよかった。喜んでくれたようで」と話した。両者とも54発の突っ張りの末に、最後は上手投げに敗れた。「向こうの方が一回り大きく、若いし。こっちの息がもたなかった」という。

通算でも9勝17敗と分が悪かった。「勝つのは3回に1回ぐらい。同じ押し相撲で、突っ張りという型も同じ。負けたくなかった。最後の一番はおれが勝っている」と笑った。

「同じ型の相手とはやらなかった」と、稽古をしたことはほとんどなかった。「部屋が違えば、話もほとんどしないものだった」。交友はなかったが「おれより5歳も若いのに」と好敵手の死を悼んだ。