元関脇豊ノ島の井筒親方(39)が、4日付で日本相撲協会を退職した。今後は個人事務所を立ち上げ、タレント「豊ノ島」として活動していく。

退職が発表された直後から、SNSにはファンからの惜しむ声が多く寄せられた。豊ノ島は最高位は関脇で力士としての実績があり、表現豊かで解説はわかりやすい。地元の高知県宿毛市では10年前から豊ノ島杯と称した少年相撲大会を開くなど、普及活動にも熱心だ。しゃべりが達者で司会業もこなし、発信力がある。芸能界をはじめ各界につながりがあり、大相撲を広める役割を担ってきた。親方として必要なものを多く備えている。

それなのに、なぜ角界から離れることになったのか。

本人は次の道へ前向きな姿勢を示し「お世話になった日本相撲協会を離れ、外から豊ノ島として相撲界を応援し、盛り上げたいなと思っております」と相撲界へ感謝の気持ちを表明している。

本人の決断を尊重したい一方、協会に親方として残れなかった事情もある。豊ノ島は2020年4月に引退し、年寄「井筒」を襲名。井筒親方になったが、今後は「井筒」を名乗れなくなった。年寄名跡は105あり、いずれかを襲名しなくては親方になれない決まりがある。

日本相撲協会は2014年1月に、税制面で優遇を受けられる公益財団法人の認定を内閣府から受けた。これに伴い、年寄名跡は協会が一括管理し、金銭授受を禁じた。引退後に親方として協会に残れる権利を売買するのは公益財団法人としてふさわしくないと判断されたためだ。

現在、日本相撲協会がウェブサイトでも公開している定款には、こう書かれている。

第47条 年寄名跡は、この法人が管理するものとする。

2 退職する年寄は、この法人に年寄名跡を襲名する者を推薦することができる。ただし、退職後5年以内を限度として推薦するものとする。

3 年寄名跡を襲名する者は、年寄資格審査委員会で審査した結果に基づき理事会で決定する。

4 何人も、年寄名跡の襲名及び年寄名跡を襲名する者の推薦に関して金銭等の授受をしてはならない。

5 前項の定めに違反した者は厳重な処分をすることとし、これを含めて年寄名跡に関する規定は理事会が別に定める。

繰り返すが年寄名跡は売買してはならず、親方としてふさわしいかどうかは年寄資格審査委員会が審査し、理事会が決めることになっている。

同時に、年寄を襲名するには、基本的に(1)最高位が小結以上(2)幕内在位通算20場所以上(3)十両以上在位通算30場所以上の規定がある(既存の部屋を継承する場合は緩和条件がある)。

これらのルールに照らし合わせれば、豊ノ島が協会に残れない理由はないとみられる。残れないのは、年寄名跡の売買禁止は名目にすぎず、1億を超えるカネが動く実情とは異なるためだ。だからこそ、「年寄株」「親方株」との俗称がつきまとう。「井筒」は別に所有者がいて、買い取りができなかった。ほかの空いている名跡にも所有者がいて、当事者の引退などに備えて借りることができない(本来は借り名跡も禁じられている)。

年寄名跡は105に限られているが、日本相撲協会は2014年11月に、65歳の停年後も最長5年まで参与として年寄名のまま再雇用できる新制度を定めた。給与は正規の70%とし、部屋を持つことはできず、役員にもなれない。この新制度により、年寄襲名はさらに狭き門となった。

多くの好角家はかねて、この制度を問題視している。参与になるにあたり、現役時代の力士名や本名で協会に残るという案も聞く。しかし、結局は人件費が増える。コロナ禍で赤字が膨らみ続けている日本相撲協会は現在、カネがかかる事案は採用しにくい。制度自体をなくしてしまえばいいが、近い将来、参与となりうる理事の親方衆がその決定をするとは考えにくい。

現在、協会に残っている親方衆の多くは、現役時代から土俵で結果を残し、計画的に年寄名跡を手に入れてきた。人によっては、多額の借金をしてその権利を得てきた。このような事情があるため、豊ノ島が残れなかったことに対して、同情的な声ばかりではない。「師匠になれば多額のお金を扱う。計画的に準備できなかったならやむを得ない」と指摘する協会員もいる。本人の資質とは別に、「関脇までいったのだから、土俵で頑張って結果を残した人こそ残れるようになったらいい」と、親方になるための基準をさらに上げてはどうかと私案を口にする親方もいる。

今後も豊ノ島のように角界を去る親方は出てくる。日本相撲協会は長年、年寄名跡の問題を抱えてきた。豊ノ島のような魅力的人材を残すことができないほど根本的解決は難しく、表向きの体裁をどうにか保っているのが現状だ。

豊ノ島は退職が決まった当日、今後へ向けての前向きなコメントを出した。制度への恨み節などは一切口にしていない。だからこそ年寄名跡をめぐる事情とは別に、今後の人生を応援したい。【佐々木一郎】