日本相撲協会は25日、春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議を行い、玉正鳳(29=片男波)の新十両昇進が決まった。

玉正鳳は同日、東京・両国国技館で、師匠の片男波親方(元関脇玉春日)同席で会見。開口一番「うれしいですね。うれしい気持ちをどう表したらいいか分からないぐらい、うれしいです」と声を弾ませ、その後も何度も満面の笑みを見せた。

モンゴル出身としては珍しい遅咲きで、初土俵から11年半かけて関取となった。来日前はバスケットボールやアイススケートなどのスポーツ歴があり、初来日は2010年9月。当時の高島部屋で稽古を行い、デビューに備えていた。

だがビザが切れてモンゴルに一時帰国し、再来日すると高島部屋は閉鎖、春日山部屋と合併されていた。そのため、春日山部屋から11年秋場所で初土俵を踏んだが、その春日山部屋など、所属した部屋の閉鎖が相次いた。

現在の片男波部屋が5部屋目で4つ目のしこ名という苦労人であり、異色の経歴だが、この日の会見では「いろんな部屋を渡り歩いて、5人の師匠から、いろんなことを教えてもらえた」ときっぱり。多くの技術や考えに触れ、成長できたことを昇進の理由に挙げた。

実姉のミシェルさんが、部屋の兄弟子で付け人を務めていた前頭玉鷲の夫人とあって「義兄弟関取」の誕生ともなった。その玉鷲は38歳の現在も、関取衆最年長ながら幕内上位で、まさに衰え知らずに活躍している。

3月6日が誕生日で、春場所の時には30歳となる玉正鳳は「関取(玉鷲)を見ていると『まだまだ30歳』と思える。上がるのが遅かった分、長くやりたい。十両に上がったからには幕内を目指したい。幕内で関取と一緒に土俵入りしたい」と、まだまだ上を目指す決意だ。

東幕下筆頭だった初場所では、3勝1敗から2連敗後、3勝3敗で迎えた千秋楽で、幕内経験も豊富な十両照強との“入れ替え戦”に勝って、新十両の座をつかんだ。

片男波親方は「3勝3敗になった後、4日間も空いたけど、その間も緊張している様子はなかった。すごいなと思った。『鈍感力』というか。プレッシャーに強い」と称賛。

もともと玉正鳳というしこ名は「正しく生きてほしい」(片男波親方)という意味で名付けられた。応援してくれる人への感謝を忘れないことを第1とし、精神力が鍛えられてきた。

189センチ、119キロと、長身ながら細身だけに「あと10キロは体重を増やして、次の場所は勝ち越しを目指したい」と話した。片男波部屋の所属力士は4人で、これでうち2人が関取となり、片男波親方は「付け人不足。うれしい悲鳴です」と、苦笑しつつ、今後の対応を考えていくという。

当の玉正鳳は「若い衆が長かったので、付け人の仕事は分かっています。自分でできますよ」と、異色の付け人なしも構わない様子。それ以上に「白まわしを着けて稽古。化粧まわしに大銀杏(おおいちょう)…。関取になるのが楽しみです」と、これから訪れる、あこがれ続けていた姿を想像し、最後まで笑顔が途切れなかった。