クリストファー・ノーラン監督の作品を見る度に「映画は巨大なイベントのようなものだ」と実感する。

 膨大な予算、大がかりなセット、100人単位のキャスト、スタッフという規模だけの話ではない。作品ごとに確たるコンセプトがあり、新しい試み、こだわりがある。

 「ダークナイト」(08年)では、知り尽くしたはずの「バットマン」の世界をさらにダークに深掘りして見せたし、「インセプション」(10年)では夢の世界を360度回転させ、「インターステラー」(14年)では宇宙の果てに意外な結末をもたらした。

 「ダンケルク」(9日公開)は、そんな監督に課せられた期待値をゆうゆうと飛び越えている。開幕からスリルは絶え間なく、構成は緻密で、ヒザを打つ快作に仕上がっている。

 ドーバー海峡に面したフランスの港町ダンケルクは、英国人には忘れられない地名だという。

 第2次大戦さなかの40年、英仏40万の兵士はドイツ軍の猛攻に海辺まで追い詰められる。海峡をはさんだ英国からは、民間の船も動員され、決死の救出作戦が行われた。この脱出劇は、後の連合軍による反転攻勢につながるのだが、プラスというよりは、マイナスを少なくするための戦いで、アクシデントからの帰還にドラマ性を見いだした「アポロ13」(95年、ロン・ハワード監督)に連なるコンセプトと言えるだろう。

 映画は脱出する兵士、救出側の民間船、援護する空軍兵の3つの視点から描かれる。まるで同時進行のように交互に登場するこの3つの場面は、時間軸の目盛りが実はまったく違うところに妙味がある。

 106分の上映時間で、地上の兵士たちの間では1週間が経過しているのに対し、海から救出に向かう民間船の中では7分の1の24時間、空中ではわずか1時間しか時計の針が進まない。時間軸の目盛りで言えば空中は168倍の遅々とした進行ということになる。

 終盤になって徐々に時系列が重なり、最後にぴたりと時間軸が合わさるまでの織り上げ方が絶妙で、いつの間にか時間のゆがみを当たり前のように受け入れてしまう。「インセプション」や「インターステラー」で描かれた時空のたわみのめくるめく感覚を思い出す。

 オープニングは、地上編の主人公、英軍兵士のトミー(フィオン・ホワイトヘッド)の全力疾走をワンショットのように途切れなくカメラが追う。ドイツ軍の銃撃を避けながらひたすら街中を走り、やがては脱出兵が列をなす海岸線に至る。見えない敵から音速で飛んでくる弾丸の恐怖がひしひしと伝わる演出で、可能な限りCGを排したリアリティーが効果を上げる。一気に引き込まれる。

 「脱CG」の考え方は全編に貫かれており、脱出を援護する2機のスピットファイアにスポットを当てた空中シーンには、コックピットに乗り込んだような臨場感がある。視界から消えたり、突然現れたりする敵機、トントントントン…と機体を微動させるエンジン音…歴代の戦争映画を見てきたつもりだが、これは明らかな未体験ゾーンだった。

 復元したスピットファイアで実際に飛んだノーラン監督は「確かに興奮はしたけど、決して快適な乗り物ではなかった。あの条件に耐えながら飛行機を飛ばし、勇敢に戦ったパイロットのスタミナ、集中力のレベルに敬意を覚えたし、それを描くことに一段と興味が湧いた」と作品資料にコメントを寄せている。

 撮影機材の小型軽量化で「今の観客は主観的アングルから極限の状況を見ることに慣れている」と現状認識した上で、スピットファイアのせまいコックピットの中にあえて巨大なIMAXカメラを入れて迫力映像をものにした。観客を驚かしてやろうという、旧来のカツドウ屋魂がノーラン監督に息づいているのがうれしい。

 登場人物それぞれのドラマやスリル満点のシーンを挙げていけばきりがないし、興趣をそぐことにもなるので、ここらで切り上げるが、ひとつ言うなら空中場面の主人公であるトム・ハーディがとにかく魅力的で、終盤には「これぞ映画」という息をのむ幕引きも用意されている。

 日頃、負け惜しみのようにしか使っていない「勇気ある撤退」の本当の意味を、この映画が教えてくれたような気がする。【相原斎】 

「ダンケルク」の1場面 (C)2017 Warner Bros. All Rights Reserved
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