近年はハリウッドにおける男女格差に注目が集まっていますが、それでもまだ第一線で活躍する女性監督は「ロスト・イン・トランスレーション」(03年)のソフィア・コッポラ監督や「ハート・ロッカー」(09年)のキャスリン・ビグロー監督、近年では「レディー・バード」(18年)のグレタ・ガーウィグ監督や「ワンダーウーマン」(17年)のパティ・ジェンキンス監督らごく少数で、全体の10%程度といわれています。そんなハリウッドで、保護犬が主人公の日米合作長編映画「ボクがにんげんだったとき」の製作を目指す日本人女性監督、神津トスト明美さんに話を伺いました。

本作は保健所から殺処分ギリギリのタイミングで救い出してくれた飼い主の女の子に首ったけの保護犬インディが、新しくできた浮気者のボーイフレンドから彼女を救い出すために魔法のビスケットを食べて人間となり、大好きな人を守るために奮闘するハートフルな物語です。この作品が生まれるきっかけは自身の愛犬との出会いだったと言います。

「アメリカに来て子供の頃から夢だった犬を飼いたいと訪れた保健所で出会った私の愛犬“インディ”がモデルになっています。仕事の関係で留守番をさせることが多く、ある日家に帰ってきたら壁に大きな穴が開いていたことがありました。寂しかったんですよね。そんなことがあったある晩、ふと自分が幼い頃に鍵っ子で寂しい思いをしていたことを思い出し、“犬も人間と同じ”だと悟ったんです。それがこの映画の土台になっています」

ストーリーの土台が出来上がった後はどんどん話が膨らみ、“ひょっとしてペットは飼い主に恋をしているのかも。犬が人間になって告白できたらどうなるのかな?”とおとぎ話のような構想がどんどんと浮かんできたと言います。そしてこの物語をベースにした短編映画ができあがりました。「ボクがにんげんだったとき」は、もともと大学の卒業作品として製作した短編がベースになっています。

「2001年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に専科で入り、1年間の短編映画製作のクラスを受講した時に卒業制作として撮ったのが、この短編映画でした。子供の頃からの夢だった35mmフィルムで映画を撮りたくて、仕事をしながら挑戦しました。熾烈な競争で刺激をたくさん受けました。パナビジョン・カメラやコダック・フィルムから機材やフィルムを無料で寄付してもらい、借金もして(苦笑)作品を完成させました」

しかし、編集作業をしている時に9・11同時多発テロが起きてしまいます。大変な状況の中で何とか卒業作品の発表会だけは予定通り行われ、最終的に満場一致で最優秀作品に選ばれたものの、当初の予定では多くのハリウッド関係者も来場するはずがキャンセルとなり、肝心な人たちに作品を見てもらえずに大きなチャンスを逃した気がして、“もうダメかも”と思ったと言います。しかしその数年後、この時製作した短編「ボクがにんげんだったとき」が、アカデミー賞公認配給会社ショーツ・インタナショナルの目にとまり、配給契約を締結して全米はもとより全欧、インドでもテレビ放送されて大好評を博すことに。また、犬が主役の短編映画を集めた映画祭「Bow Wow映画祭」のオフィシャルセレクションにも選ばれて18年から19年にかけて全米20カ所以上の劇場でも上映されたことを機に、初の長編映画に挑戦することを決意したと言います。

「すごく反響が良いと(映画祭の)開催者の方に言っていただき、皆の心に通じるクラシック映画は絶対に古くはならないということが改めて証明できたので、これは長編にするしかないと思い、製作資金を集めるためにクラウドファンディングに挑戦することにしました」

長編版の脚本はすでに出来上がっており、ハリウッドの敏腕キャスティングディレクターの参入が決まっているため、資金調達次第では一流の俳優のキャスティングも夢ではなく、来夏のクランクインを目標に劇場公開を目指しています。

宗教も人種も超えて共感できるテーマの作品なので「世界規模の配給を目指す」と語る神津監督がハリウッド映画業界に足を踏み入れるきっかけとなったのは、「スター・ウォーズ」だったと言います。

「子供の頃に体が弱くて学校にも行けない日々を過ごしていた時に、どうしても見たいと母親に頼んで連れて行ってもらったのが「スター・ウォーズ」でした。具合が悪いのも忘れて夢中になり、こんなすごい世界があるんだと漠然と憧れを抱いたのがきっかけで映画を作る仕事がしたいと思うようになり、この映画を作った国に行きたいという思いが強くなりました。親に内緒で受けた留学賞金テストにうかり、親を説き伏せて高校生の時に留学をしました。ロサンゼルスのコミュニティ・カレッジを卒業後、ラジオ番組のDJにスカウトされてアリス・クーパーなど名だたるアーティストにインタビューをする機会を得たのが、この業界に入るきっかけとなりました。当時はテレビの仕事が中心でしたが、どうしても映画を作りたいという夢を諦めきれず、周囲の“映画なんて無理だよ”という言葉にもめげずにロサンゼルスで撮影中のプロダクションに片っ端から電話をかけまくり、B級モンスター映画界の帝王として知られるプロデューサーのロジャー・コーマンの作品にインターンとして関わるチャンスを得ることができました。その後はタランティーノ監督やスピルバーグ監督らの作品にも参加し、たくさんのことを学びました」

自らつかみ取ったチャンスでハリウッドでの仕事に携わるようになって20年。これまで100本近くのテレビ番組や映画、CMの制作に関わってきた神津監督が目指しているのは、ビジネスとして成り立つ映画作りだと言います。

「自主制作映画で終わらせるつもりはありません。商品として成り立つ映画を作ることが目標であり、ビジネスとして成り立たせて次の作品製作につなげることが重要だと思っています。そのための第一歩として、12月29日までCAMPFIREでクラウドファンディングを開催しています。応援していただけたら嬉しいです」

◆CAMPFIREのプロジェクトページ

主人公は保護犬★日本人女性監督がハリウッドで撮る感動のファミリー映画を応援する!

https://camp-fire.jp/projects/view/203836


【千歳香奈子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「ハリウッド直送便」)

短編「ボクがにんげんだったとき」のポスター
短編「ボクがにんげんだったとき」のポスター