ジャニーズJr.真田佑馬が主演した音楽劇「ダニー・ボーイズ」を見た。1970年代にブロードウェーで活躍した日本人俳優イトウ・サチオを主人公にした人気漫画を舞台化した作品だったが、脚本が題材をうまく生かし切れず、舞台成果はいまひとつだった。ただ、イトウ・サチオのモデルとなった「佐藤功」という、今では忘れられた俳優が再びクローズアップされたのはうれしいことだった。

 佐藤功は劇団四季出身の俳優だった。子どもミュージカルなどに出演していたが、71年には越路吹雪さんのドラマチックリサイタル「愛の讃歌」でピアフの最後の夫役に抜てきされた。当時の四季には鹿賀丈史、滝田栄、市村正親ら若手が競い合っていたが、佐藤はルックス、歌唱力で、ひときわ目立つ存在だったという。しかし、まだミュージカル草創期の日本に飽き足らず、佐藤は活躍の場を求めて四季を退団して渡米。オーディションを経て、76年に初演されたミュージカル「太平洋序曲」でブロードウェーデビューを果たした。

 日本を舞台にした作品とあって、マコ岩松が狂言回し的な存在で主演し、佐藤は幕府の役人役だった。佐藤は英語のせりふも完璧にこなし、歌唱力でも注目され、その年のトニー賞でマコ岩松の主演男優賞とともに、助演男優賞でノミネートされた。昨年、渡辺謙が「王様と私」に主演してトニー賞の主演男優賞にノミネートされた時、当初、日本人俳優のノミネートは58年「フラワー・ドラム・ソング」のナンシー梅木以来、57年ぶりとの報道もあったが、正確には39年ぶりだった。

 76年のトニー賞は、後に日本でもロングランされる「コーラスライン」など強力ライバルもあって、マコも佐藤も受賞を逃している。一躍注目を浴びた佐藤だが、まだブロードウェーではアジア人俳優の需要が少なかった。その後の俳優人生は恵まれたものではなく、90年3月に自ら操縦する飛行機の事故で亡くなった。皮肉なことに、日本では80年代以降にミュージカルブームが起こっている。もし、日本に帰国していたら、まだ活躍していたと思うが、トニー賞受賞という栄光にあと1歩まで迫った男のプライドもあったのだろう。【林尚之】