劇団四季の代表だった演出家浅利慶太さんの評伝「浅利慶太-叛逆と正統-劇団四季をつくった男」(日之出出版)が、アマゾンの演劇史部門、演劇・舞台ノンフィクション部門で1位に入った。著者の梅津齋氏は、1962年に劇団四季に入団し、演出部に所属、退団するまでの27年間、身近で浅利さんを見てきた。私は記者として浅利さんに接したのは79年からなので、本書に描かれている30代、40代の恐れを知らぬ活躍ぶりは新鮮だった。

梅津さんが入団した時、29歳の浅利さんは61年に開場した日生劇場の取締役制作部長として、四季の公演はもちろん、日生劇場の公演を取り仕切っていた。本書では浅利さんが作家石原慎太郎さんとともに、日生劇場の若き取締役として劇場運営にかかわっていく過程を描いているが、当時の名だたる財界人の信頼を得るさまは、池井戸潤さん原作のドラマ「半沢直樹」ばりに痛快でさえある。

佐藤栄作元首相や中曽根康弘元首相のブレーンを務めるなど、政財界に人脈を持つ浅利さんを評して「政商」と言う人も多く、毀誉褒貶(きよほうへん)もあった。しかし、梅津さんは「毀誉褒貶は優れた人物には常について回る。浅利さんは当然ながらそういう人物の1人であった」とし、演劇人としての原点を「浅利さんにとって市民社会に最も似つかわしい演劇は、どのようなものかということにすべてのエネルギーを投入してきた」と喝破する。「キャッツ」でロングランの道を切り開き、日生劇場で始めた「こどものためのミュージカル」で全国の子供たちにミュージカルの楽しさを教えた。浅利さんが描いた「日本の平均的家庭の日常に観劇という娯楽を定着させる」との夢を追い求めた結果でもある。

また、盟友の世界的指揮者小澤征爾さんが27歳でNHK交響楽団の客演指揮者に招かれた時、若い小澤さんに反発した楽団員たちがボイコットした事件で、小澤さんのために奔走する姿や、創立からのメンバーだった舞台装置家の金森馨氏ががんで余命わずかと宣告された際に、最大限のバックアップを惜しまなかったエピソードには、人間としての浅利さんの優しさを垣間見た。

四季の創立メンバーで照明家の吉井澄雄さんは、本書の推薦文に「演出家としての浅利慶太にも、事業家、経営者としての浅利慶太にも、正しい光があてられていないという思いがある」と書いている。浅利さんは、足跡が多岐にわたるがゆえに、正統で真摯(しんし)な評価がされない恨みがある。今、演劇界は新型コロナウイルスの影響で公演中止が相次ぎ、未曽有の危機に直面している。浅利さんが生きていたら、どんな発言をし、どんな行動に出たのだろうか。今ほど、浅利さんのような発信力と行動力のある演劇人が必要な時はないと、つくづく思う。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)