主たる市川猿之助(47)が不在の明治座公演が28日に千秋楽を迎える。奮闘公演と銘打ったように、猿之助が昼の部「不死鳥よ 波濤を越えて」、夜の部「御贔屓繋馬」で早替わり、立ち回り、宙乗りに駆け回る舞台だけに、猿之助の休演で払い戻しが殺到するかと思いきや、市川團子(19)が代役した「不死鳥」は前売りチケットが完売し、当日券は朝早くから整理券を配布するほどの人気となった。市川中車(香川照之)の長男で、市川猿翁(3代目猿之助)の孫。次代の「澤瀉屋(おもだかや)」のリーダーとなる團子への期待感から多くの観客が詰めかけたが、團子もその期待にこたえた。せりふ回しに淀みがなく、早替わり、立ち回り、宙乗りも難なくこなす。恐るべし、團子である。稽古中に猿之助の演技を熱心に見て、頭に目に焼き付けた日ごろの努力が、代役を成功させた要因だろう。

若き日に「試練」があるのは澤瀉屋の宿命かもしれない。1963年5月、当時の團子が3代目市川猿之助襲名披露公演を歌舞伎座で行った時、口上に祖父猿翁、父段四郎の姿はなかった。ともに病床にあり、襲名公演の最後の3日間だけ、病院から歌舞伎座に駆け付け、口上に並んだものの、翌6月に祖父が、11月には父が亡くなった。24歳だった御曹司が後ろ盾を失い、「劇界の孤児」とも言われたが、その後、3代目猿之助は古典の復活上演で早替わり、宙乗りなどケレン味たっぷりの舞台を見せて、多くの観客を魅了した。スーパー歌舞伎ではファンの裾野を広げて、「劇界の革命児」と言われるようになった。

團子は同世代の市川染五郎(18)とともに期待の若手と言われ、共演舞台も多かったが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演するなど多方面に活躍する染五郎に一歩先んじられていた。しかし、今回の代役で團子の知名度は急上昇した。猿之助が歌舞伎に戻ってこられるのか、先行きが不透明な中、團子の一門での立ち位置が激変していくだろう。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)

市川團子(2022年12月撮影)
市川團子(2022年12月撮影)