やっぱり、上方演芸の至宝だ-。伝統のしゃべくり漫才を体現していた往年の兄弟漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」の映像を久々に見て、痛感した。

 大阪に生まれ育った40代の記者が、子どもの頃に見た漫才で、最高傑作と感じていたのが「いとこい漫才」だった。10月28日に天満天神繁昌亭で行われた「喜味こいし 七回忌追善公演 いとし・こいしの夕べ」を取材しながら、その理由を考えてみた。

 徹底して相方は、それぞれに「君」と「僕」。他人の悪口は決してネタにしない。ネタに入る前に、客をいじることもしない。

 この品の良さ、粋な芸風を、故桂米朝さんの長男、桂米団治さんは「まくらをやらないで、品がある。漫才の(故3代目)春団治さん」と称したが、まさにその通りだ。

 いとしさん、こいしさんは、作家が書いてくれた漫才台本のセリフひとつ変えることがなかったと聞いたことがある。おふたりが99年、大阪市の指定無形文化財「市宝」に認定されたとき、取材をしたが、実直そのもの。孫ほど年下の記者相手にも、敬語は崩さなかった。

 「芸には人(格)が出る」との伝えを、実感させられたおふたりだった。

 そんな思いで映像を見ていた。例えば78年の「ジンギスカン料理」。家庭料理をネタにしたもので、鍋がキーワード。いとしさんが「ウチは鍋が好き」と言えば、こいしさんが「ほお~、君んとこ、みな、歯が丈夫なんやな」と返す。鍋といえば鍋料理だ。決して鍋そのものではない。ベタを極めているのに笑える。

 鳥鍋に話が進むと、いとしさんが「生きてる時はニワトリ、戒名がかしわや」「いのししは戒名がボタン」とたたみかけていく。丁寧に想像力を刺激していく話芸だ。何度も聞いたネタなのに、笑いに笑った。

 実はこのネタ、ボケとつっこみが入れ替わっている。本来、兄のいとしさんがボケ、こいしさんがつっこむのだが、このネタではこいしさんがボケ倒す。これも後年、記者の仕事を始めるまで、気づかなかった。それぐらい自然なおふたりの呼吸だった。

 近年こそ、漫才の形も変わり、定番ギャグが入ったり、ボケとつっこみが入れ替わるなど、新たな手法が生まれているが、おふたりの世代では、そう簡単に入れ替わることはなかったと思う。

 こいしさんの娘で女道楽の喜味家たまごさんによれば、私生活では兄弟なのに仲が悪かったという。「もうしょっちゅう、父が『2度と漫才やらん』とケンカして帰ってきた」そうだ。それでも翌日には「メシのためや」と仕事に行った。

 舞台ではボケの兄いとしさんが頼りなさそうで、つっこみのこいしさんがしっかり者に見えたが、実際の漫才は「いとしさんありき」だった。たまごさんも「いとこい漫才は、こいしがおらんでもできるけど、いとしがいなければできんかった」と証言する。

 長幼の序、も、しっかりと守られていた。

 おふたりが生前、口をそろえていのは、長続きの秘密。「兄弟やから。なんぼ、どんだけケンカしても、兄弟の縁は切れんのですわ」と言っていた。繁昌亭でのイベントに出演していた桂ざこばも「兄弟やから、思いっきり(ケンカが)やれるわな」と話していた。【村上久美子】

「夢路いとし・喜味こいし」の思い出を語る(左から)娘の喜味家たまご、桂ざこば、桂米団治(撮影・村上久美子)
「夢路いとし・喜味こいし」の思い出を語る(左から)娘の喜味家たまご、桂ざこば、桂米団治(撮影・村上久美子)