松岡昌宏(48)の謝罪会見。国分太一の無期限活動休止、TOKIOの解散というネガティブな事実を受け、自らの言葉で現状報告、事情説明を公演先の愛知県東海市で行った。

「大変ふがいない終わり方で(TOKIOを)31年間応援してくださった方には申し訳ない。こんな形で終わらせるつもりはなかった」と、しっかりとした口調で語った。

正直に言って、かっこよかった。映画のワンシーンかと思ったほどだ。

ひとつひとつの言葉に、松岡の悔しさや誠実さがにじみ出ていた。メンバーの不始末を全力でカバーしようとする気持ちが見て取れた。

「松岡は、男を上げた」と感心した(女性差別の意図はありません)。

と同時に、ひとつの疑問がわきあがった。もし、ふだん関西弁を使う芸能人がこうした場合に謝罪会見していたら、どのように受け取られただろうか?

たとえば、明石家さんまや笑福亭鶴瓶がその立場だったら、どうなったか(2人がトラブルを起こすという意味ではありません、念のため)。

「ほんま、迷惑をかけましたな~。えらい、すんまへん」

「気持ちを入れ替えて出直しっまさかい、どうかお許しを」

いまどき「でんがな」「まんがな」を連発する人は少ないと思うが、それでも前述のような関西弁は珍しくない。意味だって大半の人に通じるだろう。謝罪しているという気持ちや姿勢もわかるはずだ。

それでも、関西イントネーションが強ければ強いほど、どこかユーモラスに映る。まじめな顔して話してるのに「ふざけてるのか?」と腹を立てる人が一部にはいるかもしれない。

30年以上前のこと。大阪生まれ、大阪育ちのわたしが東京転勤となった。当然、社内でも取材先でも大阪弁を話す。すると、なぜか多くの人が笑うのだ。何か冗談を言ったわけではない。単に耳慣れないイントネーションがおかしかったのだと思う。時代的には、すでにさんまさんが全国ネットのテレビで関西弁をしゃべっていたのに、だ。

わたしの周囲からは「吉本の芸人みたい」「漫才を聞いているよう」そんな声を何度も耳にした。確かに関東弁やアナウンサーが話す言葉は、ビジネスシーンでは便利だろう。言葉から人柄やユーモアを排して「コミュニケーションする」という意味では関東弁は有効だ。

ただ、ふだん関西弁を話す人が、謝罪の場になって急に関東弁を話し出したら「本心とは思えない」「うそっぽい!」と疑われるに違いない。聞く側の多くが関西人ならともかく、全国的に見ればまだまだ関西弁は肩身が狭いということか。【三宅敏】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミへキタへ~」)