女優原田美枝子(61)が監督デビューを果たした。撮ったのは、90歳になる母ヒサ子さんのドキュメンタリー映画「女優 原田ヒサ子」(28日公開)。認知症になった母の意外な本音に自身46年の女優生活を振り返り、映画作りの楽しさを再認識したという。

★24分ドキュメンタリー

認知症が進む母のヒサ子さんが、数年前に体調を崩した。

「倒れて3日目に意識が戻って、突然『私ね、15の時から女優やってるの』って話し出したんです。びっくりしましたね。15歳から女優をやっているのは母ではなく、私ですから。想像したこともなかったけど、母はずっと女優をやりたかったんだなあって。しばらくたって、思い付いたんです。だったらデビューさせちゃえって、横暴にも。ワンカットでも母の姿が撮れれば、後は私自身のインタビューとかで1本の映画になるって」

そのワンカット撮影のためにヒサ子さんの孫に当たる原田の子どもたちが集まった。長男・石橋大河さん(31)はVFX(特殊効果)アーティスト、長女・優河(27)はシンガー・ソングライター、そして次女・石橋静河(25)は女優だ。出演するとともにそれぞれの得意パートで映画製作に協力した。大河夫人の仏人エステティシャン、エマニュエルさん(32)も撮影の合間に主演女優ヒサ子さんの肩をもみほぐした。

「みんな集まったよ、元気にやっているよ、と恩返しのつもりだったんです。たとえ母にはそれが分からなくても、ワンカットだけ撮れればいいんだ、その既成事実があればいいんだと思っていたんです。ところが、衣装を着けて、メークをして実際に撮ってみたら、実にカッコ良かったんですよ。浮世絵の歌舞伎役者のような目をしていて、長い間役者をやってきたような表情をしている。正直『すご~い』と思った。女優魂みたいなものを持っていたんだなって。肉眼では分からないのに、カメラはそれを映し出すということにも改めて驚きました。私たちはいつも表面ではなくて、心を撮ってほしくて懸命に演技しているんですけど、まさか自分の母親を撮ってそれを実感するとは思いませんでしたね」

原田自身の証言、孫たちとの心温まるやりとり、時々のモノクロ写真…。24分のドキュメンタリーには母の半生が密度濃く詰め込まれた。戦時中に10代を過ごし、20代でオフセット印刷工の原田喜代和さんと結婚。パートで働きながら兄2人と原田を育てた。

「母は疲れ切っていたと思います。パートやって家事に追われて、私たちは何にも手伝わない。バレエが習いたいと言えばやらせてくれて、発表会の時は夜なべして衣装を縫ってくれた。マーク・レスター主演の『小さな恋のメロディ』のキラキラした世界に憧れたのは13歳の時でした。翌年東宝が彼の主演映画の相手役を公募すると、母は『やってみれば』と一緒に面白がってくれました。結局落選したんですけどね。15歳で私がデビューした時はすごく心配だったと思いますね。知らない世界だし、最初の映画で裸になったし。でも、辞めなさいとかは、ひと言も言わなかった」

★見守る姿勢継ぎ子育て

10代で映画各賞の新人賞、主演女優賞に輝き、時を置かずに第一線に立った。

「近所の人から『お宅の娘さん女優さんなのね』とか、言われるようになって、『そうなの、15の時から女優やってるの』って答えていたんだと思います。テレビで宝塚の合格発表とか見ていると、親御さんと娘さんは一体化して喜んでいるじゃないですか。母にもそれに似た思いがあって、突然自分のことのように語り出したんじゃないかと」

温かく見守る姿勢は、母親となった自身もいつの間にか受け継いだ。

「やりたいことがあったら、反対しないでやらせてあげようと思いましたね。体験的に自分がやりたいと思ったことは長続きするけど、あれこれ指図されたものはもたないから。子どもの頃はそこまでいくとは思わなかったけど、いつの間にか映像やら歌やら…それぞれやってますものねえ」

自身は46年間一線に立ち続けてきた。

「最初の映画は独立プロでお金がなくて、ロケ先では神社の社務所のようなところで寝起きしました。想像していたキラキラした世界とは違ったんです。でも、大の大人が30人、40人集まってああでもないこうでもないと1つのものを作っていく。現場がとにかく楽しかった。増村保造さん、神代辰巳さん、勝新太郎さん、黒沢明監督…若い頃にすごい人たちにもお会いした。もっともっと、と上を求めていく仕事が私には魅力だった。あの体験が核になっていると思います」

巨匠たちの演出を当たり前のように受けたことがあだになった時期もあった。

「正直、物足りなさを感じることもありました。『えーっこれでOKなの』とイライラした。自分をうまくコントロールできなくて、いつも怒っていましたね。30代に入ってからは子育てもあり。でも辞めなかったですね。10代で感じた映画作りの面白さが忘れられなかった」

38歳の時に主演した「愛を乞うひと」で再び主演賞を総なめにした。

「子どもができて、子役さんとの関係も変わってきました。いろいろ見えるようになったんですね。肩の力が抜けてきた。今は子どもたちも独立して、余裕ができた。母の映画を撮ろうなんて思って、実際にできてしまうんですから」

★改めて「映画は楽しい」

カメラの後ろ側には発見もあった。

「監督をやりたかったわけじゃないんです。でも、母を撮りたいって言ってもきっと私以外は意味が分かんないと思うから。で、いざ取り掛かると知らないことだらけです。演技に集中して周りを見ていなかったから。音声、照明…しっかりプロに教えてもらいました。編集は自分でやりました。初歩的なミスが多くて時間がかかりすぎたんですけど、母の写真を1枚1枚しっかり見たのも初めてだし、どういう切り口が一番良くなるだろうって考え続けた。母の言葉も初めてしっかり聞きました。楽しかったんですよ。母のことをいろいろ考えたのはもちろんですけど、やっぱり映画の仕事は楽しいって改めて思いましたね」【相原斎】

▼ヘアメーク・着付け担当Eita氏

10年くらいのお付き合いになります。目的に向かって妥協しない姿勢はプロ中のプロですね。極寒でスタッフみんなが暖をとっている中でも着物1枚で全然弱音をはかない。愚痴は聞いたことがありません。悟りの境地かもしれませんね。髪質も扱いやすいんです。どんな形にも作りやすい。髪の毛までプロ気質かもしれないです(笑い)。今回はお母様をやらせていただいて、かわいらしく、同じような落ち着きがありました。親子とはいえ、骨格もまったく一緒なのは驚きですけど。

◆原田美枝子(はらだ・みえこ=本名・石橋美枝子)

1958年(昭33)12月26日、東京生まれ。74年、映画「恋は緑の風の中」でデビュー。76年「大地の子守歌」「青春の殺人者」でブルーリボン新人賞、キネマ旬報主演女優賞など。98年「愛を乞うひと」でブルーリボン主演女優賞など。近作に映画「こんな夜更けにバナナかよ」、ドラマ「俺の話は長い」など。87年、歌手石橋凌と結婚。

◆「女優 原田ヒサ子」

原田美枝子が製作・監督・撮影・編集を手掛け、90歳になった母・ヒサ子さんを撮ったドキュメンタリー映画。認知症になると自分が一番輝いていた時代に戻ることが多いといわれるが、ヒサ子さんの場合は、記憶が娘の人生にオーバーラップしていた。

(2020年3月22日本紙掲載)