ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさん(本名・志村康徳=しむら・やすのり)が29日午後11時10分、新型コロナウイルス肺炎のため亡くなった。70歳。所属事務所が30日に発表した。「東村山音頭」「カラスの勝手でしょ」「アイ~ン」など数々のギャグを生み出し、国民的な人気タレントとして活躍した。葬儀・告別式は近親者で行う。

志村さんは馬主の顔も持っていた。93年にJRAの馬主免許を取得し、15頭の競走馬を中央競馬で所有した。初レースは97年5月11日東京2Rのケンエックス(9着)。馬名の冠に「ケン」「アイン」を授けたり、トノノオナリー、ダイジョブダアなど、自身の芸能人生を愛馬に投影した。

JRA馬主としてのべ75回愛馬を送り出したが、JRAでは未勝利に終わっていた。9頭を管理したJRAの小桧山悟調教師は「普段はすごく物静かな人でした。思い出すのはアインジェイドという馬がデビューした日(2着=04年12月25日)かな。その日に私の父が亡くなって競馬場に行けなかったんだけど、葬儀会場に弔花を出してくれた。気に掛けてもらいましたね」と振り返った。

所有馬の大半は北海道沙流郡日高町の碧雲(へきうん)牧場から購入。六本木のすし店で意気投合した同牧場代表(当時)の長谷川敏氏との縁を大事にした。長谷川氏は「10年ほど前には牧場にも来てくれて…。たまたまいた修学旅行生が驚いていたことが懐かしいです。無理を言って馬を買ってもらったこともあったけど、恩返しできなくて残念です」と悼んだ。