ジャニーズ事務所のロックバンド、男闘呼組(おとこぐみ)のメンバーで、事務所きっての美少年としてアイドル的人気を誇った岡本健一。今は同事務所に所属しながら、舞台の演劇人として高い評価を得ている。岡本を舞台に駆り立てるものは何か。新型コロナウイルス感染拡大の折、電話でインタビューした。

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岡本が初めて演劇の舞台に立ったのは19歳。89年、アイドルとして人気絶頂だった岡本を舞台へと導いたのは、演出家の故蜷川幸雄さんだった。

「蜷川さんが、(事務所の社長)ジャニー喜多川さんに『誰か若い子いないか』と声を掛けて、俺に決まったそうです。演劇は初めてだし、蜷川さんのことも知らない。でも、蜷川さんのすごい熱意に、俺は無我夢中に食らいついた。共演者、スタッフ、とにかくみんな、すごいエネルギーを放っていて、こんな生き方をしてる人たちがいるんだってカルチャーショックを受けたんです。初日、満員の日生劇場(東京都千代田区)のカーテンコールで万雷の拍手を浴びて、こんなにたくさんの人と、俺は時間を共有できたんだ、と。そんなぜいたくさが好きになった。蜷川さんに『舞台は麻薬みたいなもんだ。取りつかれるぞ』と言われて、その通りになったね」

その後も新派の大女優、奈良岡朋子との2人芝居やシェークスピア劇、劇団☆新感線への客演など、ジャンルを問わず出演し、演技の幅を広げている。

「オファーをいただいたものは断らない主義です。中には『これ、俺がやるの?』という役もあるけど、飛び込んでみると新しい世界が見えてくる。名前も国も時代も人種も年齢も性格も、俺とはまったく違う人物になりきって、物語の世界に入り込むんです。だから常に無色でいたい。そこが演劇の楽しさ、つらさでもある。個性を出すのは音楽をやっている時だけ。音楽には役柄も何もないからね」

読書が好きで、難しい本もよく読んでいると聞く。

「俺は高校を中退したから、学歴は中卒。学業をおろそかにした分、10代のころは、人間とは何かという世界に入って、哲学書や思想書を読んでいました。今は小説や戯曲ですね。若い人は、時間があれば本を読んで、泣いたり笑ったり感動したりしてほしい。活字で感情を動かすというのはすごいことだと思います」

事務所の後輩、木村拓哉との親交は、ファンの間ではよく知られる。若いころの木村に「好きなことをしなさい」と助言したこともまた、知られたエピソードだ。

「後輩から助言を求められたら、今、何をやりたいのか、それは本当に好きなことなのか、本当に好きならやりなさいと言っています。俺が尊敬する先輩たちは、自分の好きなこと、やりたいことを突き詰めている。その姿を見ると、俺なんかまだ全然ダメ。もっと突き詰めないと追いつけない。悩んだり、誰かに相談してる時間がもったいない。今やらなければ、明日はできないかもしれない。悠長なことは、言ってられないんです」

息子の岡本圭人は、同じ事務所所属のアイドルグループ「Hey!Say!JUMP」のメンバー。現在は、演劇の勉強のため米国留学中だ。

「今、彼はニューヨークにいます。さまざまな国のさまざまな人種の人たちと学んでいる。俺が経験できない世界にいる。そこで教えられたこと、体験したことは、俺が経験したことより、確実にもっとヘビーだろうし、逆にもっと自由だと思う。しかも今、米国は新型コロナの影響でシビアな状況にあって、外出もできず、街には人がいないそうです。東京で暮らす俺とは違う思考、パワーが生まれているんじゃないか。親子共演? それは分からないですね。彼は今、舞台人というより、人間として学んでいる最中ですから」

日本では舞台で演劇を見るという習慣がない人がほとんどだろう。何を入り口にすればいいのだろう。

「時間を作って、安くはないチケットを買って劇場に足を運んでくれるわけだから、ちゃんとしたものを作って、楽しんで帰ってもらいたい。舞台演劇は、敷居が高いと感じるかも知れないけど、400年も前の英国で作られたシェークスピアが、現代の日本でも上演されている。それは今に通じる重要なメッセージが込められてるから。生の舞台でメッセージに触れれば、誰しも衝撃を受けるはず。そして確実に人生は豊かになる。入り口は何でもいい。ぜひ1度、衝撃を劇場で体験してください」

◆岡本健一(おかもと・けんいち)1969年(昭44)東京都生まれ。85年、TBSドラマ「サーティーンボーイ」で俳優デビュー。88年「男闘呼組」のボーカル、ギターとして「DAYBREAK」でレコードデビュー。チャート1位を獲得する。同年のNHK紅白歌合戦に初出場。89年、唐十郎作、蜷川幸雄演出の「唐版 滝の白糸」で初舞台を踏んだ。19年「岸 リトラル」「ヘンリー五世」で第26回読売演劇大賞最優秀男優賞を受賞。20年10月、東京・新国立劇場の「リチャード二世」で主演する。