古関裕而氏は「オリンピック・マーチ」のような世界的な行進曲を作曲する一方で、数え切れない校歌や応援歌、社歌、自治体歌、音頭なども作曲しました。日刊スポーツも創刊10周年の1956年(昭31)に、社歌「日刊スポーツの歌」を作曲してもらっています。いかに有名になっても、職業作曲家として頼まれたら断らないという信念でした。【笹森文彦】

古関氏が手掛けた校歌や応援歌は、北海道から鹿児島までほぼ全国に多数ある。故郷の福島県には1県だけで、大学から幼稚園まで108校に作曲した(19年4月現在)。今でも古関裕而記念館(福島市)では「校歌に関する追加情報をお待ちしております」とアナウンスしている。

社歌は専属レコード会社だった日本コロムビアはもちろん、西武鉄道、日本生命、関西電力、三井造船、パイオニア、東宝など多業種に及ぶ。東宝の社歌は高島忠夫と草笛光子が歌った。社会人野球の強豪企業の応援歌も数多く作曲した。このほか愛知、島根などの県民歌や市民歌。さらに「宝くじの歌」「P.T.Aの歌」「国鉄体操」、緑の羽根募金主題歌「みどりの歌」に「日本住宅公団の歌」なども作曲した。

古関氏の長男・正裕氏(73)は「作詞家の方、コロムビアさん、放送局などを介して頼まれるケースが多かった。父は職業作曲家ですから、病気などの理由以外は基本的に断ったことはないと思います」。依頼主の期待にいかに応えるかが職業作曲家である。

日刊スポーツも56年の創刊10周年を機に、歌謡コンクールを共催していた日本コロムビアに相談して、古関氏に社歌を作曲してもらった。作詞は本紙の連載小説の作家だった村崎守毅氏。歌唱は岡本敦郎とコロムビア・ローズのデュエットだった。岡本は「高原列車が行く」の人気歌手。コロムビア・ローズは翌57年に「東京のバスガール」を大ヒットさせる。豪華なデュエットによる、高揚感あふれる社歌である。

古関氏は自伝「鐘よ鳴り響け」(集英社文庫)で「校名や社名だけでも整理しておこうと思いながら、それを怠っていたため(略)、今日では一割程度しか分からない」と嘆いている。「うちも古関さんだった!!」という名乗りが、まだまだ出てきそうだ。

○…古関氏は多数の音頭も作曲した。「宇都宮ヘルスセンター音頭」なる作品もあり、五月みどりが歌った。故郷の「福島わらじ祭り」のために作曲し、舟木一夫が歌唱した「わらじ音頭」が初CD化され、アルバム「あなたが選ぶ古関メロディーベスト30」に収録された。福島県民以外にはほぼ初公開だ。ちなみに1位は「高原列車は行く」。

 

明日は長男・古関正裕氏インタビューです