河瀬直美監督(51)がエグゼクティブディレクターを務める「なら国際映画祭2020」が、18日に東大寺大仏殿をはじめとした奈良市で開幕する。

2010年(平22)にスタートして10年目、6回目となる同映画祭は今回、新たな試みとして、高校生と大学生が映画を一般の観客に届ける配給・宣伝に挑戦する「ユースシネマインターン」を立ち上げた。最終日の22日に、ならまちセンター市民ホールで、映画「静かな雨」(中川龍太郎監督)を上映する。

参加者の永井菜実さん(19)に、6月に活動をスタートしてから配給、宣伝に初挑戦した悪戦苦闘の日々を聞いた。

なら国際映画祭では、次世代の映画人を育成する取り組みとして、一線で活躍する映画監督を講師に招き、中高生が主体となって構想、撮影、編集、上映までを行う「ユース映画制作ワークショップ」を行ってきた。さらに、今回から「映画はつくるだけでは観客には届きません。どうすれば多くの人に観てもらえるのか、どうすればその魅力を届けられるのか」というテーマの下、映画を実際に上映すること、そこに至るまでの宣伝などを行う配給・宣伝に高校2年生から大学1年生までの5人が挑戦した。

奈良県在住の永井さんは、京都教育大で教育学を専攻する大学1年生だ。なら国際映画祭には過去、長編や短編の映画を10代のユース年代が審査員となって審査する「ユース審査員部門」に2度、参加しており、今回が3回目となる。当初はボランティアで参加する予定だったが、ユースシネマインターンにひかれるものがあった。そこで、高校生のみを募集していた中、強く希望して参加した。

6月からオンライン会議システム「Zoom」を使って会議を6回、開いた。5人を2班に分けて、1班は2人で「静かな雨」のフライヤーを参考にしつつ、プロのデザイナーと相談しながら7月初旬から9月までかけてチラシを作成。もう1班は3人で「静かな雨」の中川監督や出演した俳優に、舞台あいさつへの登壇を含めた協力を依頼する手紙を書いた。その中、河瀬監督と、映画会社「20世紀FOX」で配給と製作を経験し、15年にカンヌ映画祭の「ある視点部門」に同監督が出品した「あん」の製作などに参加した、ラビットハウスの増田英明代表に指導を仰いだ。

中川監督は、ユース映画制作ワークショップで講師を務めるため映画祭への参加が決まっており、河瀬監督との上映後のトークイベントが決まった。Zoomでの会議にも参加してもらい「ユースのみんなに僕の映画を宣伝してもらえるのが、すごくうれしい。分からないことや聞きたいことがあれば、気兼ねなく相談してね」と温かい言葉もかけてもらった。ただ俳優陣は新型コロナウイルスの感染が終息しない中、東京から奈良への移動が難しいことや、次の作品への役作りなど仕事の予定が重なり、参加が難しい状況だった。

奈良を中心に大阪、兵庫、京都の報道各社にも手分けして電話し、上映の告知を依頼したが「バタバタと切られました」(永井さん)と成果は得られなかった。そもそも、コロナ禍で奈良県外のメディアに告知を依頼して、観客に県をまたいで来てもらって良いのか? という葛藤もあった。

永井さんは「配給・宣伝は本当に大変で、自分を追い込んだこともあった」と、この3カ月を振り返った。コロナ禍で上映してもチケットを買ってくれるのか不安があり「正直、大変すぎて、自分からやりたいと言い出したのにもかかわらず、やめたいと思ったこともあった」という。

そんな弱気な心を振り払えたのは、河瀬監督からの「君たちの思いが伝わってない! もっと思いを伝えなさい!」などのゲキと、映画祭の開催に尽力するスタッフの存在だった。「自分がうまくできず落ち込んでいる時も、スタッフや仲間は頑張っていて、すごく情けなくなった」。

永井さんは、一念発起して配給・宣伝業務と改めて真正面から向き合い直した。粘った結果、「静かな雨」の俳優陣からコメントをもらうことが出来た。オンラインで行っているチケットの券売も順調だ。会場は、新型コロナウイルス感染予防対策から収容人数を通常の半分の150人に絞ってはいるものの、12日段階で半分以上の席が売れた。

永井さんは「自分は何も知らないで、映画に関わりたいと考えていた。すごく大変やったし、いいことばかりじゃなかったけれど、自分のやったことが形になり、成果が得られたことがうれしかった。だんだん形になっていくと小さなこと1つ、1つがうれしい」と、かみしめるように語った。そして一端でも感じることが出来た配給・宣伝の難しさと喜びを、映画が好きな自分の後輩たちにも体験して欲しいと思い始めている。「自分たちがやったことで、次にやってみようかなという子が出るかも知れない。だからユースシネマインターンのことを、もっと知って欲しい」。

永井さんたちの活動が、どのような花を咲かすか…本番は、すぐそこまで迫っている。【村上幸将】